BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

誠心誠意の受容

新年あけて、2日めの目覚め、
私の中ですとーん、と、あることが一致しました。

それまで知識でもっていたことが、
「あ、そうだった」という感じで腑に落ちて、ぴたっと合流しました。

それは、今日のテーマ、
「誠心誠意の受容」につながります。


人は、自分を受け入れている程度にしか、
人を受け入れることができません。

私は、自分を受け入れているちょうどその程度しか、
外の世界を、受容することができないのです。

愛しいこの世界に、私は何かお返しできる?
私に何ができる?

そう考えたとき、「自分全部を受容すること」で、結局、
外の世界全体を嘘偽りなく、
誠心誠意心をこめて、抱くことができるのだと気づいたのです。


☆☆☆

そのための認識を、言葉にするならばこうです。

この世界で何があろうとも、
起こっても大丈夫なことしか、起きない。

これは、必ずそうなのです。


さらに言うならば、

どんなことが起きていても、実は、
自分がそれをやってみたくてやっている。

これも、必ずそうなのです。


…えええ?それって、
私とは関係なさそうに見える、あれもこれも、あの、遠い世界の出来事も?

ええ、
外観がどう装われていても、「私」が見ている現実にそれがある限り、
そのことも、あなたにつながっている「大きな私」の、必ず見たいことです。

言い換えるなら、何らかの愛に基づく理由で、
「起こっていいよ」と、自分が内で許可していることです。

そしてそこに「愛」が関わらないことはないのです。必然的に。


☆☆☆

私たちの表層意識ではわからなくても、
ここには「得たいもの」、「知りたいもの」が必ずあり、

自分が得たいと望んだ「宝物」は、
起こる出来事の中、どんな現実の中にも隠されています。

私たちの体験するすべてのものごとの背後には、
ギフトを発見することができます。


なぜなら、

本質が愛である神(源泉)とつながっている本来の自分、
「大きな私」…に、ゆるされていないことは起こり得ないからです。

シンプルに、起こすことができません。

だから、

宇宙の誰かが、たとえあなたが、どんな「間違い」を起こしたと思っても、
それは責めるに価しないことです。


許可されていないことは起きません。
許可されたということは、そこに見るべき宝(愛という基盤)があります。
どの中にも、もれなくです。

これが、どんなに大切なことか、実感できますか。

☆☆☆

ゆるされている、100%全部ゆるされているんだとわかったら、
人は、どうなるのでしょう?

抵抗というのは、自分が分裂しているからこそ、
起こるものですよね。

私たちは、

ゆるすとか、解放するとかいうとき、
ネガティブなもの、不都合なものを「切り離す」イメージで、
そのことを捉えていないでしょうか。


むしろその逆なのです…

幻想の中で起こっていることを、全部、受け入れられるか?
全部がゆるされていると信じられるか?

ゆるされているものを、やっつける必要なんてあるでしょうか?

責めるべきもの、「間違って存在しているもの」は何もないと、
自分は気づいているのか。

目を向けるなら、そちらだと思うのです。


☆☆☆

どんな自分の側面も、どんな世界の一面も、
全部が受容されている。

誰に?

神に。
イコール、大っきい私自身に。


本当に、何も課せられてなんかいない。
誰も罰を受けるものなんていない。

そうやって、世界を見つめたときに、
何が見えるでしょうか。

すがすがしい風みたいに…何にも縛られていないあなた。
自由で、愛されて存在しています。

その心には何が映るのでしょう?
外は、どう見えるのでしょう?


“悪魔”はいません。
どこにも、正すべき間違いは起こりません。

ぶれているときの自分?分裂した自分?そこにある苦しみ?

そうね、味があるものだね。
とっても、人間体験らしいものだね。

でも、裁くには、価しない


どんな形をとっていても、何が見えても、
私たちが愛であること、
存在、その下地が「愛」であること、

それだけを、知っていれば。

☆☆☆

ゆるしているっていうのは、
ハチャメチャな自分を見たときも、自分を罰さないこと

裁かない、何も判断しないのだから、
もう、どっこも隠す(暗闇に置く)必要が、ない!ということ。

いつも何かを「しようと」するんじゃなくて、
切り離さないで存在してること。

☆☆☆

こうして今感じている「この体」がなくなっても、
この「形のある世界」がなくなっても、続くものがある。

今までも、これからも、ずーっと、あったもの。

それだけが私たちの真実で、
それは、今もここにある。
全部、「それ」が化けている。
見ようと思えば、それが透けている。


私が何を体験しても、どう感じても、本質はなくならないから。
真実の方は、変わらないから。

私の全部を見ていて、
あなたの全部を見ている、
世界の全部を、受容している、それ。

私たちを映し出す「それ」が愛ならば、
何をおびえることがあるんだろうか!


誠心誠意、すべてを受容できる私がいるならば、
それは限りがなく、ずーっとひろがる、大きい私のことでしょう。


では、また次回お会いしましょう☆


※おしらせ:5日の夜までコンピューターから離れる予定です。
セッションに関するお返事もしばしお待ちいただくことになります、
ご了承ください☆

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