BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

アルファでありオメガ

ここのところ出している「地球救命隊」という言葉、
コースにも「salvation 救済」という言葉が出てくるし、
わかりやすくて、ありかな~?と思い、使っていたのですが、

やっぱり、前の記事を書いてしばらくして、それは「方便」だということを、
説明すべきだと思いました。

落とし穴があるからです…。o(_ _*)o


結局ここに戻るよね…という感じでもありますが。


この記事では、今まで説明に用いていた論理から、さらに拡大します。

無機質な感じもあるかもしれませんが、センチメンタル抜きで、
宇宙的な視点で書いてみようと思います。


まず、何よりの落とし穴が、

「この世界には癒しが必要である」という信念であると思います。

なんとも言い表しにくいのですが、

「癒された姿、完璧な姿」は、
タイムライン上の将来にあるわけではなく、

まさに「今、ここ」にすでにあるからです。


同時存在です。

この「今、ある」という感覚のためには、
世界に何かを働きかける必要はなく、

むしろ「自分の目(感じ方)」を正すということです。
完璧な静かな心に立ち返り、そこから生きるということです。

この夢の中で機能する限り、そうした心の状態から、
自然と発生する動き(行動)、交流というのはありますが、

それは「癒さなければならない」という感じとは違います。
癒しというのはむしろ、自然な作用です。



創造というのは、アルファでありオメガです。

はじまりと終わりは同一…輪のようなものですが、
私たちの認識の中で、とりあえず一定の方向に向かって感じられる。

それが、統合の向きの矢印です。


分離を保つ、「制限デバイス」が、自我であり、
この「制限」は、「罪」と手を取り合っていると見受けられます。

よく言われる、この世界は「制限のゲーム」という言い方、

これは確かにそうで、
しかもその「制限」に、「罪」という概念が結びついているのです。

それは「何かが足りない」という発想です。
不足を動機としています。


「癒しが必要」という概念も、それと無縁ではないとわかりますよね。

ややこしい話ですが、この世界では外に存在して見えるあれやこれやも、
結局ひとつのつながり、心のあらわれですので、

私が「癒しが必要」と思って見ている限り、
世界は実際に癒しが必要な姿に見える(アクティング・アウトしてくれる)。


いつも、すでにある完璧さに焦点を合わせるということが、何より大切です。


その感覚は、見たものの詳細を投げ出すというよりも…自然発生する愛しさ。
ただ全部、「愛しているよ!」と包みこむ感じです。

これはセンチメンタルではなく、事実です。


この大前提にあるのは、
自分の内なる源の「愛と完璧さ」を知る、感じるということですね。
そこにつながることを自分の「意志」にするのです。


外に愛を探すのではなく、内からの源の愛に気づくことで、
結局、外に現れている愛もどんどん認識される。見えてくる。

逆のアプローチも併用できます。
「外のどんな状況の中にも愛を見る」という意志。
これを決まった目的にすれば、内なる愛とリンクするでしょう。


自分が苦しみに入っているとき、心の切り替えが必要なのは、
そこにある「完璧さ」がまったく見えなくなっているからです。

状況をどうしろ、こうしろではなくて、
自分の心の状態が、「だまされて」いるからなのです。

「全部ある…愛しているよ」という、WHOLE(全体)の感覚から、
切り離されてしまっているからです。



何が見えても、積極的に「謎解き」をする必要はありません。
全部愛しているときに、おのずと詳細が「見える・ほどける」ことはあります。

それはただ、この夢の中で有益なストーリーが垣間見えるというだけです。


この世界は、今このままで、何が起きていても、同時に大丈夫である。
それは、私たちスピリットが協力して創作している夢の世界だからです。

私たちといっても、心の源はひとつです。

夢の作用に引きずられない…でいられるか?
「大丈夫である」という真実に目覚めて、この世界を知覚できるか?

そうして、夢の中で、創造力をのびのびと使う
(制限を取り払い、インスピレーションを活用する)ことができるか?
…というゲームであるとも言えます。


夢のようなものであるからには、覚める方向に向かうでしょう…
という前提が当然あり、「覚める」ときの準備段階といえば、

「夢に没頭するよりも、夢であることを思い出す。
夢に囚われる者になるのではなく、夢を愛し、流れを活用する者になる。
そのために、夢の中での制限・心残り(罪という幻想)を、無効にする」

ということが関わってくるのです。


救命隊、の意味…はここにありました。

それが「差し迫った問題」だからではなく、
そういう方便があると気づきやすいのです。

「今ある完璧さ(自分の今も属しているステーション、本拠地)」
に。


それでは、また次回♪ヾ(^∇^〃)


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