BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

ぐにゃぐにゃに生きる

たんに、つぶやかせてください。

ここのところ、めっちゃしんどいことが続きました。


そうすると、家族なんかにもそれが伝わるわけで、
それでもってちょっと口論なんかになったりして、

そのとき自分が思わず言い返していた言葉に愕然としました。

「ほっといてよ!これは、私がやりたくてやってるんだから!」


がびーん。わかってるんじゃん。

でも…
やりたくねぇ。ガクリ

もーいいよ。やめたい。逃げたい。全部なしにしたい。



と、思っていたら、いきなり洗面所のところでデカ文字で言われた、

「手放せ!」


と、スピリットに…。(見えるんです 笑)


「おまえは、過去の自分の決断すら、変えることができたら…と考えて、
しがみついている。
現状がつらいからといって、すでに起こったことを変えようとしている。
その思いをまずは、手放せ!」


手放せるかー!と思ったのは、言うまでもない。


が、なんだかカラー風船のようなバルーンを、手渡すイメージが出てきて、
一瞬楽になった。サンキュー、スピリット…。

と、思っていたら、つづいて今度は「カイジ」のイメージが浮かんできた。
このブログを始めたころの記事にも書いている、漫画の…。

妹から借りて2度ほど読んだだけでも強烈なインパクトがあったので、
さまざまなシーンをよく覚えている。


☆☆☆

やっぱりあの漫画はすごいな、と思う。
人間の心理描写がうますぎる。スピリチュアルである。

それで、私は自然と、その中の「一条」というキャラクターの気持ちや、
利根川」というキャラクターの気持ちになってみた。

なるほどな~。今の私は、「カイジ」ではないなぁと。

漫画を知らない方のために説明すると、主人公カイジは、無職。
ひょんなことから多額の借金を抱え、ギャンブルに挑むのでありますが、
いつもとんでもないインスピレーションによって意外性のある行動をとり、
窮地を打開するのであります。

「一条」や「利根川」は、敵役である金融会社側の人間で、
カイジと勝負した相手です。


もともと自分はカイジタイプだと自負していたのに
(世間的には褒められたものじゃないのでしょうが)、
今の私、なんだかいきいきとした創造性とつながってない…

もっとぐにゃぐにゃに生きていたいのに…と、思った。


そしてまた、その原因が、自分の「間違い」にあることがわかっていた。

それは、ひとことでいえば、
「人は神のみに依っている」という事実を、無視しようとするからである!!


カイジの漫画でいうと「鉄骨渡り」がそれにあたるのですが、

(高層ビルと高層ビルの間を、なんと鉄骨が数本渡されてあり、
その上をそれぞれが命がけで渡り切るという恐ろしいゲーム!)


つまり、ひとりひとりがそれぞれの「人生」という独立した鉄骨を渡っていて、
それを歩むのはその人自身で、他者は何も、直接してやれない。

だけど、漫画の中では「存在の尊さ」…にふれていて、

それぞれが別々の鉄骨を渡っていても、声をかけあえる…
コミュニケーションができるというだけで、力になる…

(でも、この世界ではそのコミュニケーションでさえも、
それぞれの認識の言葉におきかえられ、すれ違ってしまうという孤独っ!)


さらにカイジが気づいたのは、
「人がいてくれる(存在する)というだけで、こんなにもあたたかい…」
ということだったのです。なんという描写。(ノДT)

すばらしい、福本先生!!


☆☆☆

どうしても、ブログでスピリチュアルな価値観や、
コースの教えについて言及していると、「真実」という言葉を使う。

それでもって、「正しさ」みたいな話にもなってくる。

それは、ある種の「思い込み」を打破するための、必須の前提としてだ。


だけど、人間というのは、定義できないほどに色とりどりの存在で、
それ自体、奇跡で、

どんな側面が見えてもそれひとつっていうことはなくて、
ぐにゃぐにゃで、尊くて…

死ぬほどつらい、もうだめだ、と思った後に、
泣くほど腹の底から笑ったりすることができる存在。


その神秘を、私は愛している。


だから、何かを定義し続けると、投げ出したくなるところがある。
遊びがなくなると、息がつまる。

芯は、おんなじなんだけど…ね。

今体験している「つらいこと(出来事として起こった問題)」の背後に、
私のそんな気持ちがあったなぁ。



そういえばちょうど、その数時間前に、
机の前でぼんやりとインスピレッて(笑)いたことが、

「ロボットじゃないからなぁ~。人間は、感じる存在なんだから」

っていうことだったんです。


コースでも、レッスンがいっぱいあるでしょ。
「ゆるすこと」「ゆだねること」をいっぱい学ぶでしょ。

「手放す」もそうなのですけど、感情にとらわれないということ…
それって、「感じていることを抑圧する」のとは全然違うんですよね。

「何も感じなくなる」というのとも、ちょっと違うし。
ジャッジが減ると、強い感情や反応が生じなくなる側面はあるけれど、
無感覚…ではないんですよね。

むしろ、鋭敏になるので、「感じて気づく」ことは増えると言える。


☆☆☆

感情といえば、私は、たぶん「天使」…
いわゆる透明のヘルパーみたいなのを、やっていた記憶?がある。

その存在は明らかに人間ではない。

それは、人を色々な方法でアシストするので、「思考」はある。
でも、人間みたいな「感情」がなかった。

「意志」はあるので、「こうしたい」とか、そういう思いはある。
それに基づいて、行動しているわけだし。

また、人間が気づいてくれなくて、ヘルプがうまくいかなかったとき、
「残念感」みたいなのはあった。

でもその切り替えもすばやくて、「悔いる」とかはないし、
人間みたいに「どうして?がっかり…」とかの悲しさや罪悪感とは無縁だった。


そして、子供や動物には自分の姿が見えていて、
彼らに対して「にっこり」笑ったりもしていたので、
その存在も感情がないとは言えないのかもしれない。

でも、そのような存在の体験も含め、私がときどき疑っているのは、

私は、人間の感情というものを、辞書や参考書を読むように、
「学んで身に付けた」のだなぁ、ということなんです。


夢の中でも、人間の「思考・感情」のボール(エネルギーの塊みたいなもの)を、
自分の中に受け取り、人の人生を自分のものとして体験してみる、ということを、
何度となく、やっていた。

あれって、訓練ではないのか?


…そんな経緯があるからか、人の感情というのが、
それが人間ならではの基準、ジャッジの結果生まれるものだとしても、

なんだか「とても愛しい、美しい」と思ってしまう。

なんだろう、その見とれる感じ、宇宙人的に説明すれば、
単に色々な形であらわれるエネルギー表現の花火というか。

音にも似ているかもしれない。だから音楽であらわしやすいのかな。


どんどん話がそれましたが(笑)、

生きるって、やわらかい…だから、折れたりもしない。
ぐにゃぐにゃにいこう!
もしかしたら「にわか地球人」の、つぶやきでした。


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