この「霊的な話」カテゴリの中で書いたことについて、
(ゴム人間や人の想念の話、バリから帰国したときの出来事など)
読み方によっては、誤解(というか怖れ)を与えてしまう可能性もあるので、
◆「自分のキャパシティ(4話まであります)」
◆「帰ってもらえる?」
それらの出来事に共通して感じ取った「私の見解と、個人的な背景」について、
ここに書いてみたいと思います。
☆☆☆
「ゴム人間襲来」現象があった頃、私は今よりも、
自分に対する誤った観念をたくさん持っていました。
こういう言い方もできます…
自分に対する「許可」が低かったのです。
それは、自分の価値うんぬん、というだけでなく、
この世界をどう見るか、
人をどう見るか、ということに直接関わってきます。
私は、人をいつでも助けなければならない(助けたい)、
役立たねばならない(役立ちたい)、と、そう信じていました。
逆に言えば、それができないと無力感を感じることになりますし、
それができない自分には、存在価値はないことになります。
明らかに、私は人のために存在していると信じていました。
だから、「自分勝手な自分」(少なくとも自分がそう見なすもの)なんて、
許可できませんでした。ゆるせませんでした。
そのような自分は、この世に存在する価値がないのです。
迷惑をかけるくらいなら、消えた方がいいのです。
わかりますか?
この状態では、いちばん耳を傾けるべき、知るべき「自分」が、
抜け落ちていますよね。
外を見て、内をそれに合わせようとしていたのです。
だから、人の言うことや感じていること、外のことばかりに気を配り、
自分の感情や、心で本当に思っていることは、わからなくなりがちで、
人の状態、人の人生まで抱え込んでは、それを背負い込んでいました。
これは本人は一見「奉仕」のように勘違いできますが、とんでもない!
(たびたび引き合いに出される 笑 ◆「上級の優しさ」参照)
自分の存在価値がかかっているので、それが動機となり、
他に仕方がない(選択肢がない)のだと信じている以上、
被害者意識や無力感だって当然感じていたのです。
それを「現象化して」体験させてくれていたのが、
あの「ゴム人間現象」や、想念をいっぱいくっつける「子泣きじじい現象」、
だったと思うのです。
私の内は、あのような形で協力してくれるキャストを集め、
私に必要なメッセージを届けて知らせたのです。
「あなたは、自分の人生を侵害していますよ。
自分のパワーを忘れていますよ。」
そしてまた、そんな私は、感情の扱いも下手でした。
とくに怒りについては、「それが人を傷つける」と信じていたので、
それが湧いた時点でなんとか消そうとしていたのでした。
無自覚にそれを行っていたために、自分が怒っていることにすら気づかない。
ずいぶん経って、あとで自分の感情や、そのときの思いに気づくのです。
当時の自分を振り返れば、たぶん、こういうことが起こっていたのでしょう。
怒りを感じた自分を速攻で裁き、「いけない!」と、抑圧するのです。
思えば、「天使の目線、天使の目線…」と、よく心でとなえていました。
実際、天使になれたらいいのに…といつも思い、努力していました。
(たびたび書いていますが、どんな思いも感情も、
自分の中から湧いてくるとはいえ、自分とイコールではありません。
私たちは、その「ベース(存在)」なのです。表現は表現。)
だから、目指す自分になろうとするがゆえに、
出てきてしまった思いや感情を、ためて、ためて、我慢して、我慢して、
限界になったときに崩れるように噴出してしまう…。
なので、「怒り」と「自分の希望」をそのまま表明したとき、
「ゴム人間現象」は、ほとんど終結をむかえた、というのが、
興味深いと思っています。
それから一度、似た現象があったと書きましたが、
そのときはもう、「怒る」必要がありませんでしたしね。
☆☆☆
私は、自分のわからないこと、
腑に落ちていないことについて解説はできないので、
自分が「ゴム人間」と呼んでいるものそのものが何かについては、
やはり、何とも言えません。
ただ、それは私に役立つキャストでした。
私の「気づき」に一役買ってくれました。
あのとき、愛の波動や大天使ミカエルが効果がなかったというのも、
体験劇場のすばらしい仕組みを彷彿とさせます。
なぜなら、私が自分で気づきたかったのは、
「自分の心をふみにじっているのは自分。
湧いてくる素直な思いや、感情を怖れないこと。」
これだったのですから。
あそこで、ミカエルがさっと現れて助けてくれたり、
なんとか意識を切り替えて起こす「愛の波動」がすべて解決して、
「やっぱり無理してでも愛に集中せねば…」
という観念を私が強化したならば、
私はその根底にある、同じ観念を握りしめつづけます。
私の中で「未消化」になっていた一部が、
またしても置き去りになってしまいます。
そして偽りの、「いつでも百%の愛にむかってがんばるぞ仮面」が、
保持され続けてしまうのです。
愛とはそういうものではありませんでした。
☆☆☆
そして加えていうならば、
私は、見えない世界、心の世界に対する興味という、
自分で望んで選択しているテーマがあります。
はっきりとそこについて「知りたい」という欲求があります。
そのために、私にとって、
エネルギー世界で起こる様々なものを観察することは、楽しみであり、
そこを通じて人生の理解を深めていくことは、よろこびでもあるのです。
その意味でも、やはり望んだ「自作自演」と、言えるのでした。
実際のところ、そういう見方をするようになってからは、
もはや「怖い」と感じる現象は、ほとんどありません。
必ず、必ず、その核には、
「あっ」
と思う、自分へのメッセージ(ギフト)を見つけることができるのです。
★スピリチュアルカウンセリング★