この記事では、コメントでいただいたご質問を一部引用して、
お答えします。(たまごさんどうもありがとう!)
以下、ご質問の一部です。
「自分は経済的に自立出来ない」とか
「自分は男子から恋愛対象には見てもらえない」
などの思いが根強くある場合、
「うんうん、自立出来ないと思ってるよね」
「わかるよ、男子には好かれないと思ってるよね」などと、
ただ決まり文句のように受け入れれば良いのでしょうか?
その奥に何かがあって(多分、無価値感など)
こういった気持ちが湧いてくると思うのですが、
それだと原因探しが始まって、
結局原因はわからずの堂々巡りがまた繰り返されるだけの気がします。
以前の記事に、ヒプノセラピーやらで
原因探しはvanillatreeさん的にはあまり…とあった記憶があるのですが、
わたしも散々原因探しジプシーをしてしまったので、
ここをどう判断してよいのかわかりません。
さて、昔記事に書いたことのある「原因探し」について。
これについてふれる前に、ひとこと、お断りしておきますね。
どんなセラピーも、あなたの心が響くものなら意味がありますよ!
形式にこれがダメ、あれがダメ、なんてありませんから、
どんな方も、ご自分のハートを信頼して、それを基準にしてくださいね。
それはさておき、私がお伝えしたいのは、その目的(フォーカス)です。
「理由」を追い求めることは、ときに落とし穴である、ということなんです。
◆「とっても複雑、とっても単純」の記事を思い出してください。
もちろん、「理由」が不意にわかり、役立つこともあるでしょう。
これが真実だと、あなたが直感することもあるでしょう。
ただ、「それを解かなければ解決しない」と思い込んで、
現状についての「理由」を、過去にさかのぼって探すこと…
あるいは、
「これが今世の修行で、私の人生はこうでなくちゃいけないんだ。」
などと、あなたの本当の望みに反して、決めてしまうこと。
それは、必要ないと思うのです。
もしもそれがあなたを苦しめたり、不自由にしているのであればね。
「今」のあなたを観察することで、
あなたは、あなたの現実のもととなっている「種」を、自ずと知ることになります。
心の中にある種…それが観念・思い込み(BELIEF)です。
観念というのは誰でも持っています。
けれども、一般的に、人生の中で自分が満足している領域については、
わざわざそれを調べることもしないでしょう。
たいてい、これに気づくきっかけとなるのは、
浮上してくるあなたの不平、不満、そして苦しみ、
強い感情が生まれたり、葛藤を生んでいる領域についてです。
観念をもとにして、あなたの感情が生まれます。
観念をもとにして、あなたの判断(ジャッジ)が生まれます。
観念というのは、ひとつのものの見方に過ぎないのですが、
それを持っている限り、あなたはそのものの見方に制限され、
それを基準に人生を映し出しているのです。
たとえば、日常に現れてきそうな、以下のような思い込みを並べてみましょう。
かっこ内についても、併せて考えてみてください。
「私はいつも上司(部下)に嫌われるなぁ」
(あなたの目、感覚は、上司(部下)の意図とは関係なく、
あなたを嫌っている証拠を探し、それを証明し続けるでしょう。
その思い込みにより、あなたの発するエネルギーのメッセージは、
人々からそのような振る舞いを招きやすい状態にもなります。
また、ここには、あなたの信じている、嫌われることについてのメリット、
あるいは好かれることへの観念もひそんでいます)
「こんなこともできないなんて、私は社会人失格だ」
(「こんなこと」ができたら、あなたは社会人として認められたと、
感じるのでしょうか。それとも、他のできないことによって、
「失格」を再び実感するのでしょうか。
社会人、は、あなたに何を意味しているのでしょうか。
また、その失格/合格、を決めているのは誰なのでしょうか。)
「人は必ず裏切るものだ」
(世界中の人を調べましたか。それに、あなたも人ですね。
あなたはもしかして、自分を裏切っているのでしょうか?)
「人間的に成熟している人は、いつも寛大である」
(あなたは、寛大でないときの自分を、人間的に未熟だと裁くことになります。
また、人の中に寛大でない部分を見つけたとき、成熟してないと見なします。
そして「寛大さ」の基準というのも、ひとりひとり違います。)
…こんな感じで、これらが制限でありながら、個人的現実をつくり、
その「正しさ」は、全くあやふやだということ、おわかりいただけるでしょうか。
そしてまた、あらわれた思い込みを眺めていると、それらの中に、
さらに細かい観念をどんどん追いかけて見つけていくこともできますね。
「本質」を見ていくことができます。
話が戻りますが、観念を「なぜ持っているか」、「いつ持ったのか」、
そんな理由を過去に探し始めると、これはもう、いっぱしの迷路です。
あなたは幼少期から、過去世から、家系の因縁から、カルマから、
色々なものを引き合いに出してみるかもしれません。
そういう作業も、楽しかったり、それで私は納得するのだ~!
という分にはいいですが、基本的に、そうである必要はありません。
要は、「今」あなたが、そのような観念を持っている。
それに気づけば、自覚すればいいのです。
そう、「今」がいつも足場です。
では、「観念」を見ることそれ自体は、原因探しではないのか…といえば。
私の考えだと、生きながら自然に体験していく様々なことを通して、
内から湧いてくる思考や感情を観察していく中で、それに気づくことは、
むしろ「不可欠」です。
「なんだ、こんなものを持っていたのか」
「こう思う必要はなかったなぁ」
というように、まずは自覚することが大切だと思います。
あなたには、その機会がふんだんに与えられています。
あなたの目の前にあらわれる機会として提供されているということは、
今まで、あなたを制限していた狭い殻から、
「ぜひとも気づこう!拡大しよう!」と、自ら望んでいるということです。
あなたが、余分なところに力の入っていない、
調和したあなた自身(あなたのヴァイブレーション)であるために、
見るところがあるよ、と、教えてくれているわけです。
そんなとき、今ある状況を従来の考えで決めつけず、色付けせず、
ハートをオープンにしながら体験、観察していけば、
「あ!そうか」「なるほどな」
と、狭いものの見方が外れるタイミングが、必ずやってきます。
ただし…ご質問にもあった通り、
それら様々な種の核にある本質は、洗い続けてみると、共通しています。
根本にあるものが、不思議といつも同じところへ辿り着くのです。
それは…「無価値感、無力感」
コース流に言うならば「分離」。
これが出てきたときには、気づいてください!
それを自分が、信じ続けたいかどうか。
他者と自分、世界と自分、ハイヤーセルフと自分、源(神)と自分、
結局、切り離されていて、別々…。
そうして、自分の「意思」とは裏腹に、
何か他の力によって、
色んな関係性や、出来事が勝手に押し付けられてくる…
そんな小さな自分の「価値」を証明するために、
自分に色々な条件をつけてがんばるのだけど、
それも、どこまでいっても満たされない…
結局は、いたらない自分、不十分な自分があるまま。
そんな自分の一生には、意味があるのだろうか。
宇宙にとって私など、ちっぽけな存在じゃないか。
そしてこれもいつか、終わる。
私の存在を消して。何のあとかたもなく。
このような「無力感、分離」がいかに幅をきかせていたか、
さまざまな「核」に注目すればするほど、気づかれることでしょう。
そのたびに、私たちは思い出します。何度でも。
別な見方を選択します、何度でも。
再び忘却に落ちそうになる、その前に。
☆☆☆
あなたは今も完璧な「存在」です。
この体験は、あなたの意思。
あなたが選んでやっています。
あなたの源は愛であり、
あなたが問題と見なしている状況の中にも、
確かに愛の側面が存在するのです。
ですから、まずは肯定的に見つめてください。
今はよくわからなくても、
それが何かすばらしい前触れであると信じてください。
あなたの愛を「今」というポイントに注ぎ込みます。
そこから、あなたの過去にも、未来にも愛が放射されます。
この広がる自由な「今」に、ただ、感謝します。
いつでもここから、
あなたは現実を創造しています。
「無力感」という錯覚に、くすっと笑ってみましょう。
源からどんどん注ぎ込む、気持ちのいいパワーを感じます。
あなたは唯一無二の、「窓(目)」を持ち、
他に代わりはきかない、ユニークな存在。
あなたという存在の輝きは、この宇宙になくてはならないもの。
そう、絶対に欠かせないのです。
そんなにすばらしいあなたが、
このように、様々な体験をしていること。
色んなことを感じていること。
それだけのことなのに…これはとてもすごいこと!
そんな奇跡に、まずは浸ってください。
今も鳴っている、ハートの鼓動を感じてください。
おかえりなさい、
あなたは、存在そのものであるあなたの光、
創造の力、
この瞬間の「完全性」を、思い出しました。
☆☆☆
それでは皆様、目いっぱい…よい週末を~!!☆ヾ(^∇^〃)
クリックありがとうございます♪♪
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