予告していた大天使ザドキエルの記事に行く前に、
前回の記事◆「レベルアップだ」に続き、書いておこうかな~と思うことがあります。
私が今、体験しているプロセスは、「大人になる」というようなことです。
それは、世間一般のいう「大人」とはだいぶ違います。
私は「ハイヤーセルフ」とか「ロウアーセルフ」とか、
自己を細かく分けていく呼び方は混乱を生みやすいので好きではないのですが、
それでも、表現するのならば
「ハイヤーセルフとして生きる」という言葉がしっくりきます。
ハイヤーセルフの視点はいつもあなたの中にありますが、
(内とか外という言葉も定義上のものであり、混乱を生みやすい。
あなたはハイヤーセルフの別次元の体現でもあり、
ハイヤーセルフの中に在ると言うこともできる。)
あなたが、「この世界の夢」に強く焦点を合わせ、
自分のアイデンティティーをそこにのみ集中させているとき、
あなたは「学習した観念や、受け入れた合意」をもとに世界を見ており、
それに気づくことができないのです。
しかし、人が本当に「大人になる、成熟する」ということは、
単に体が成長することでも、年を経ることでも、
文化背景や誰かの作った「大人像」に適合することでもなく、
ハイヤーセルフ(普遍の愛)の表現になるということなのです。
もちろん、現時点でも、あなたは愛の表現です。
この世界のすべてが、本当にそうです。
ただし、私たちは「夢の霞」に覆われており、
夢の中で新たな夢をつくり、迷っている…とも言えます。
純度があるといえばいいでしょうか。
夢の中では、夢も現実ですね。
体験している人にとっては、自分の描く世界がそのまま現実です。
☆☆☆
ハイヤーセルフの視点を体験すると、
何もかも関係なく、ただ愛が流れているということがわかります。
普遍の愛(源)がすべての構成要素です。
それと同時に、自分は、この現実において、
どのように「表現」するか、生きるか、
それを選ぶことができるのだ(自由意志がある)と気づきます。
ブログでたびたび書いているように、
愛に基づいて(源のヴァイブレーションの目で)世界を見るか。
怖れ(この世界で学んだ夢)に基づいて、世界を見るか。
その選択です。
誤解しないでいただきたいのは、ハイヤーセルフは、
あなたがどうあろうと、あなたを裁いていません。
ただ、私たちの夢の中にあるたくさんの愛のヴァリエーションの中でも、
「純粋なヴィジョン、公正なものの見方」を教えてくれるのです。
☆☆☆
あなたが、あなた自身を責めているときも、
あなたが、誰か他の人や状況を責めているときも、
あなたはハイヤーセルフの視点を忘れています。
しかし、その視点は失われるものではなく、
同時にそこにあるので、
あなたが「意思(Will)」を持てば、いつだって体験できるのです。
それでも、私たちは様々な体験をし、
「自分の中だけの自分という囲いの中でもがく」
という経験をしながら、
成長しているのです。
これは芸術であり、裁かれるような間違いはないのですが、
「もつれ」はあるかもしれません。
鏡に映った像が、ゆがんでいるのではっきり見えない、
というようなことです。
でも、大きな目でみればそんな「もつれ」もまた、糧になります。
誰もがハイヤーセルフとしての自分を認識することができ、
その体現として生きており、
「もつれ」や、「ものごとをよく見えなくする霞」を、
本人が希望するならば、意思を持つならば、解消することができる、
ということを覚えておいてください。
☆☆☆
私の場合、ハイヤーセルフは内なる声であるほかに、
自分のヴィジョンとして、自身の深い感覚として、体験しています。
それが最近強まってきており、もはや「別の自分だけ」という方が虚構なのです。
それは、同時に2つの目を持っているような感じです。
私の言う「大人になる」とは、自分がひとつになる感覚です。
しかし、生まれたての子どもや、無邪気な幼児と違うのは、
「知恵」の要素です。
(これについて、こんなたとえはどうでしょう。
智恵の実を食べたあとで、陰影を体験した後で、
ふたたび統合し、無垢を知る。その者は、知恵の使い途を知っている。)
歪んだ体験をしている自分もいます。
思い込みに入ってもいます。
しかしその根柢では、「そうではない」現実を見ている自分もいます。
見ている…体感している、知っている、と言ってもいい。
そして、今まで見なかった「強さ」を見ています。
それは、自分の弱さを拒絶しなくなってから育った強さです。
「傷」に入り、苦しみをさまよっているときにも、
同時に安らいでいる自分と紙一重なのだといえば、おかしいでしょうか。
傷つき、騒ぐ自分も愛しく思います。
ただし、この愛しさは、「公正な愛しさ」であり、
人々、この地球、宇宙、生命、すべてに注がれる愛しさです。
そしてこれは、ただずっと、そこにあったものであり、
表面に上ってくるのは「素になるだけ」あるいは「発露する」感覚であり、
細かく揺れ、小さなことにも震える「小さい自己」を、
まさに支えている本体なのです。
☆☆☆
「子」の目線から、「親」の目線へ。
それは人の親という意味ではなく、大宇宙の親です。
我慢して、ムチ打って、強くなろうとは思いません。
でも、自分が何であるかを知ってしまったら、
じょじょに、それと一体になるしか道はないのです。
それが本当の自分であり、希望だから。
傷つきやすさを体験する自分、
それを見据える自分の、土台としての強さがあることを知っているのです。
あなたにも、それはありますね。
だから、今、ここにいますね。
☆☆☆
今日、大天使ミカエルが体の中にいる感じがしました。
そして、こういうメッセージがありました。
「ミカエルの剣は、源の強さを忘れさせる“幻想の弱さ”を断ち切る剣。
ミカエルの炎は、愛の炎。」
最近、記事に大天使や天使の話を多くしているのは、
大天使というアーキタイプを使うことによって、
「自己の切り替え(ハイヤーセルフへ)」
を、直接体験しやすくなるからです。
何も表現は「天使」でなくともいいのですが、
私は、自分の体験に基づくことのみ、書いていきたいと思うので、
おのずと出てきてしまうのですね。
大天使って?なんで天使?
と、思う方は、過去記事の私なりの説明をお読みください。
◆「スピリットの声、大天使、アセンデッド・マスター」
beats-and-love.hatenablog.com◆「スピリットの声、大天使、アセンデッド・マスター2」
beats-and-love.hatenablog.com今はもう、これを書いた当時とはまた違った見解もありますし、
とくに知覚の仕方については、変化した部分もありますが…。
理解の土台として、こういう見方も役に立ったらうれしいなと思います。
そんなわけで、
「ハイヤーセルフの目線と、この世界の自分の目線の融合」
の過程にある私をサポートしている大天使ザドキエルについては、
また次回です!
みなさん、よい週末をね~☆
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