今回はおなじみの夢の話です~☆
眠っている間の夢見が、秋になってからよりいっそう、
くっきり、はっきりしてきた気がします。
夢のクオリティーにもリズムがあって、
それは月の満ち欠けや季節にも関係しているようなんですね。
そして相変わらず、目が覚めてから「こっち」のリアリティーに戻るまで、
時間がかかっている私です(笑)
☆☆☆
この間も、たくさんの夢を連続して見たなかで、
私はとあるファミリーの中にいました。
こっちの現実では会ったことのない人たちです。
家の感じは、どことなくアメリカの田舎の家に似ていたなぁ。
居心地のいい家で…
時刻はもう夜で、みんなで夕食の支度をしていました。
お皿を並べたり、盛りつけたり…
あせったり、急いだりすることもなく、のんびり、楽しくやっていました。
わいわいがやがややっている中で、足りないものに気づいて、
その家のお母さんと誰かが途中、車で近所のスーパーまで買いに行ったり。
パーティーってわけではないんですけど、
ふだんより多くの人が集まって、にぎやかでした。
私はそこの家族の一員というより、ゲストだった感じ。
そこには確か、家がアメリカらしい海外の設定だった通り、
(こちらのリアリティーの見方でいうと、)外国人もいたけど、
その家で暮らしているのは多分、日本人の家族だったんですよね。
といっても、色々な人種が混合している家族だった印象です。
海外在住の日本人、みたいな感じで。
それで、私が玄関から中に入ると、そこの家の小さな女の子(日本人)が、
うれしそうにぱたぱたぱたって、かけよってきて…
みんなはわいわいやっていて、誰か大人が、
「あ、先にその子のおくちふいてあげてー!」
と、居間の方から私に言う。
見ると、女の子はさっきまで何かを食べていたらしく、
お口のまわりに食べ物のあとをつけている。
私が布かティッシュか何かできれいにふいてあげると、
まだ小さいのに、女の子はかわいらしく「ありがとうー」と、私に言う。
そして、わくわくした感じ、
とってもうれしい秘密を打ち明けるように少し声をひそめて、
「あのね、今から新しく生まれるんだよ」
と、居間に置いてある長方形のガラスケースへ私を引っぱっていく。
それは、その子のお母さんが持ってきたもので…
細長いガラスケースの中は夜みたいに設定してあって、
なにか新しい生き物が生まれようとしている?
卵がかえるような感じかな?
☆☆☆
はっと、目が覚めてから、しばらくしてこっちの自分の自覚にもどり、
あの女の子の様子をありありと思い出しました。
こちらでは、見たこともない子。
その顔立ちに、心当たりもない。
もちろん自分の幼少期や、子供のころのどんな友達とも全然違う。
でもその姿、さっきまで見ていた。しぐさも。表情も。髪の毛も。
はっきりおぼえてる。
あの子はこちらにはいないのに…確かな存在感がある。
こういうとき、リアリティーの本質について、おのずと体感する、といえます。
私にとって、こちらがよりリアルで、あちらの方がリアルでない、なんて言えないのです。
こちらを現実と呼ぶのなら、あちらも等しく現実と思える。
目をつぶろうが、体を休めて横たえていようが、
私たちはまるごと、起きているときに遜色ない(多くはそれ以上の)質の、
世界を、リアリティーを、体験しているんですよ。
この事実から、おのずと、わかることがあるのではないでしょうか…?
起きている間の「現実」が、一般に信じられているように「確かである」とか、
「唯一の現実である」なんていうのは、そんなに「常識的」かどうか。
私には、どちらの世界も愛しいから、ひろい自分として、境界が薄れる気持ちになります。
見馴れた部屋や、家族、
いまの自分と関わっている大切な人たち、なじみのあるリアリティー。
それらも、なつかしい夢の中のように見つめてしまうのです。
心から、またこの現実に戻ってこれてよかった、と思う。
それは、まるで感謝の祈りみたいにそう感じるのです。
ただあってくれるだけで、今が、ありがたい。
けれども、郷愁のようなもの、HOMEの感覚というのは、
ここだけに湧くものではないということも、同時にわかっています。
ある表現をすれば、私たちには、たくさんの家があるに違いないのです。
たくさんの世界が多重に存在していて、今も一緒にある。
それらのすべてを愛しく思います。
☆☆☆
追記:昨日の朝ごろの夢では、ひさびさに、そう頻繁にはない、
ややハードな「お仕事」をしていました。
眠っている間の活動には色々あり、です!
☆この記事に書いた夢について、次の記事で解説しています。
◆「夢を理解すること」
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