こんばんは☆
今日は「お墓の話」ですが、スピリチュアルカウンセラーとして、
「こうした方がいい」、「こうするべき」
など、一定の「型」を指南をするための記事ではありません。(*^▽^*)
それぞれのご事情やお考えもあるでしょうから、
そういったルールは一概に定められないものだと私は思います。
ただ、個人的なきっかけがあったので、
私がお墓について思うこと、感じることを書きます。
☆☆☆
先月、母と会ったときに、
母から唐突に「お墓の話」をきいて、びっくりしてしまいました。
なんでも、母の友人Zさんがすでに自分のお墓を購入し、
その話をきいたら母もお墓を用意したくなったというのです。
Zさんは離婚した後も、お子さんを育て上げ、
お子さんたちはすでに結婚してそれぞれのご家庭を持っています。
現状、同居して暮らしているお子さん夫婦もいらっしゃるのですが、
色々なご事情や、残るお子さんたちへの負担など考慮して、
生きているうちにお墓を買ったということなのです。
そして、
その話を聞いた私の母も、急にお墓に興味を持ったという次第です(笑)
興味を持つやいなや、
実際にどんなお墓があるかや、よさそうな墓地への問い合わせ…
お墓の値段まで調べ始めたというのだから、驚くではありませんか。
その活動をきいた父も、目をまるくしていたそうです(笑)
母いわく、
「私は、お墓はなくても別にいいの。
自分がどう葬られるかにこだわりなんてない。
ただ、何か場所があることで、そこに定期的に家族が集まって、
顔を合わせて思い出話のひとつもする…
そんな交流の場の、きっかけになるといいな。」
そんな旨のことを話していました。
ですから、「切り売りされた土地を買う墓地」ではなくて、
「マンションタイプ」のお墓でいいと言います。
「マンションタイプ」…
私はお墓について全く知識がないので、母からの又聞きですが、
建物内にいくつもの骨壷をおさめるスペースがあり、
そこを訪れて、任意の手続きで呼び出すと、ガーッと機械が作動して、
御用の骨壷が出てくる。
そんなタイプのお墓があるというのです。
お墓も、工夫の時代なのですね。
そういう、土地なしタイプのお墓も、今はけっこう混み合っていて、
なかなか入るのはむずかしいらしい、ということでした。
ふーむ。
人間、亡くなった後のことにまで気を回さなければならないのか!
と、新たな境地を見た思いでした。
また母も、子供(私や妹)に負担がいくことを気遣った面もあったようです。
人によっては、ご実家や、親族というか一族の墓というか…
そこに入るという心づもりの方もいらっしゃるのでしょうが。
こんな話もしていました。
母の故郷の親しい友人で、もうずっと東京で暮らしていますが、
故郷にそのまま、家族のお墓がある方がいました。
お墓は、山など行きづらいところに墓地があることも多いですが、
その方の場合もまさにそうで、
故郷に帰ること自体も遠いのでままならず、そう頻繁には行けないし、
行ってからのお墓のお手入れも大変だということでした。
行けない間の時期は、土地の人に頼んで、
お金を払って定期的にお墓のお世話をお願いしていたそうです。
そこで、お墓を引き払い、もっと近い所に建て直すことにしたそうなのですが…
引き払うにも、費用や手続きなどがあって、なかなか大変だというのです。
ふうむ。
私も色々考えてみました。
たとえば自分以外の人だったら、故人の意志を尊重するにしても、
自分自身だったら、どう葬られたいか。
実際的には、どのようでもかまわないのですが。
このことに関しては私は、幼少期から浮かんでくるヴィジョンがありました。
それは、自分の亡躯(なきがら)が、土に還っていくヴィジョン。
死んだら、人間の体は、土に還る…
腐食され、自然界の虫や微生物に分解されて、土の養分になる。
そう、ずっと思っていましたし、それは私にとって安らぎでした。
自然から生まれたものが、朽ちて自然にかえっていく。
そのことは私にはなんとも優しく、あたたかさを感じるヴィジョンだったのです。
ですので、
「本人が希望しても、土に埋めるわけにはいかないのかなぁ。
自分の家の庭とか…。(大好きだったうさぎの亡骸も埋まっているので。)」
と、思わずつぶやくと、
「それは無理ね。日本では法律で決まっているからね~ 」
と、母。
そうなのですね、日本では、火葬することになっているんですよね。
確かに、「自分の家」の庭に埋めて、いつしか土地が別の人の住処になり、
庭を掘ったら骨とかがごろっと出てきたら、驚かせてしまいそうです(汗)
母は、遺灰を海などに撒く、「散骨」もいいなと思ったそうですが、
(遺骨の全部ではなく)一部だけしか撒けないみたいだし…
人口も増えて、亡くなる人も多いからね、
みんながそれをやっても困るのかもね、と。
また、お墓の代わりに、木を植えましょう!
というやり方も、いいなと心ひかれて調べたそうなのですが、
意外と、その木を植える場所が狭くこみあっていて…!?
こんな風に若木を植えてもなぁ…
もっと、ひろびろした場所に植えてあげたいわ~
という気持ちになったので、そのチョイスはなしにしたそうです。
「骨壷は、遺族が引き取らなきゃいけなくなるからねぇ。
ま、何もなくて部屋に置かれていても、いいんだけどね!」
と、母は笑っていました。
他にも、
遺骨の一部をキーホルダーにして持ち歩けるようにしてくれる、
そんなサービスもあるらしいよ~
え~、でも、そうしたいかなー?!
などなど、色々話しあいました。
「インドでは、今でもガンジス川に死体を流しているんじゃないのかなぁ。
それとも、もう変わっちゃっているのかな。どうなんだろう?
土葬でなくても何か、自然界に養分として活用してもらえる方法はないのかな?」
と、私。
自然界からいただいた体を、自然界に返すヴィジョン。
しかし、それをするためには土の土壌が必要になるわけで…
亡くなる人間は日々いるというのに、
こんなに、アスファルトに覆われた地面が多くなった今では、
それは夢のまた夢なのでしょうか。
そういえば確か、私がかつて留学していたアメリカでは、
(宗派によって異なるのかもしれませんが、)
今でも「土葬」だったと思い出しました。
(ステイ先のホストファミリーに、おばあちゃんのお葬式の写真を、
見せてもらったことがありました。
あちらでは、棺の中に入れるときにかなり華やかにメーキャップするのですよ。)
ただ、土葬とはいえ、立派なお棺の中に入れて墓地に埋葬するわけなので、
きっと自然の土には、なかなか還らないのでしょうねぇ。
☆☆☆
記事のしめくくりに。
「お墓の話」をするときに、私が一番憂えているのは、いわゆる
「一定のルールに沿った弔い方をしないと、故人が成仏できなくなる」
というように説く教えのことです。
それはない!
それはないから。
ですから、
お墓が建てられないから親不孝とか、罰当たりだとか、
故人に申し訳ないとか…
そんな風に思う必要は全くありませんよ。
お墓がなければ亡き人が成仏できないということは、決してありません。
また、亡くなった人がみんな、興味をもって
「自分の葬られ方」を一部始終見ているというわけではないですよ。^^
死後のあり方も、生前同様、色々です。
結局、「お墓」というのは、
亡き人のためという以上に、「生きている人」「遺された人」たち側の、
心のためにあるのだという気がしてなりません。
それが、私の思うお墓の意味です。
そして死後にも…当人の意識のもつ「信念体系」は影響しますので、
生きている間から、余分な観念から自由でいたいものですね。
外に見ている「観念(BELIEF)」が、絶対的真実ではなく、
自分の採用している「観念」なのだとわかっていれば大丈夫ですよ♪
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