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遮って、見えなくするもの

こんばんは~(*´∇`)ノ゚.:。+゚  今日もお疲れさまです☆


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今日のお話は、「遮って、見えなくするもの」


私たちって、物理的な物事に、とってもフォーカスしていますよね!?

それは、合意した「この人生の経験」をするにあたり、必要なことでもあります。


だから、物理的な物事をただ無視しましょう!というのも的外れで、

(たまにスピリチュアルな分野の中でもそんな傾向が起こりますが…)


要は、順序を知っていること(意識と、物理的な現実と、どちらが先なのか)と、

バランスがとれていること、
この両方が必要なわけです。



さて、そうはいっても、

そんな知識は、精神世界・スピリチュアルな分野を学んでいる人なら、

とっくにわかっているよ!とお思いになるかもしれません。


…知識は確かにあるかもしれないけれど、それでもなお、

私たちを、「遮って、見えなくするもの」。それは何でしょうか?



物理的な、「形」に、やっぱりとらわれること?

うん、それはありますよね。

視覚的な印象、人の発する言葉、五感で捉える情報…。

いかに、私たちがそこに集中しがちで、その影響が大きいか。


でもね、今日のお話は、それについてではないんです。


私たちを、遮って、見えなくするもの。

それは、「私!」という防御壁のことです。

「この私」に集中しすぎているために、他のことが見えないんです。


…日常の中でも、

「私が」、どう見えるか?(多くの人が、それぞれ、このことを気にしてます。)

「私が」、何を思っているか・感じているかを伝えるのに、一生懸命。

「私が」「私が」「私が」…


すっかり、「主人公」になってしまうのですよね。「私」が。


これは、私たちのあり方として、ある程度仕方のないことなんですが、

この状態に「囚われ」ると、苦しくなります。



忘れちゃうんです、本当の自分を。

他者がいて、その中に、自分がいて、という目線からだと。※


※これについては、昨日の記事も参考にしてくださいね♪「現実を起動している」



本当の「私」に焦点を合わせているときには、逆に、

この、「私が、私が…」という状態からは、解放されるんです。


なぜなら、「私が、私が」の防御壁がある状態というのは、

真の自己ではない「ニセモノの自己」に焦点を合わせていて、

それを守ろうとすることから生じているのです。※

※自己に本当は区切りはありませんが、便宜上、「ニセモノの…」と書きます。


そんなとき、あなたがフォーカスしているのは、要するに、

吹けば簡単に飛ぶような、ちょっとしたきっかけでクラッシュするような、

幻想の“自己”概念のこと。


だからこそ、それを守ったりアピールする必要が生じるんです。

そうしなければ、はかなく消え去るようなものだから…。

一方、

真の自己は、あらゆる影響、状況に関係なく、

ただあり続けるので、そのような防御を必要としないんです。


しかも、その「立ち位置」からは、多くのことが見渡せます。


「個人の私」だけに限定されない、

「他の立ち位置(=他の存在)」についても、

心を配ることができます。


自然と、「多くの私」の視点を汲み、調和を取ることができるということです。


このように書くと、まるですごいことみたいですが、

きっと皆さんも一度は、そういった調和体験をしたことがあるのでは?


そのとき、ふだん周囲にある“障壁”があたかもふっと消えたかのような、

不思議な感覚があったと思います。


本来は、そちらこそが、私たちの「標準」なのです。



「私が、私が…」の視野になっているときは、狭まっているとき。

フォーカスを、真の自己から外してしまっているときです。


そう自分で気づくことができたなら、

自分は、何をしようとしているのか。

自覚を持って、その本質(目的や望み)を確認してみてください。


外の状況、物理的なモノゴト、さまざまな他者…

それら「遮って、見えなくするもの」を超えて。

難しいセオリーを当てはめた、理屈のゲームに入ることもやめて。


自然の景色をただ観察するように…

あなた自身を、ダイレクトに感じてくださいね。


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