昨日の記事内で「コメント欄クローズのお知らせ」を一度書いたのですが、
こちらで新しく書き直し、1つの記事とします。
というのも、その経緯には私がこれまでに感じ、深く気づいてきたことがあり、
それがぜひ、皆さんにお伝えしたいメッセージでもあるとわかったからです。
昨日の時点では、私自身、そう気づくことができずに、
メインとして書いた文章の末尾に“おまけ”のような形でお知らせを載せたため、
文章も長くなりすぎないよう、内容をずいぶんはしょって書いてしまいました。
今日それを読み返して、「これでは意図が伝わらないなぁ…」と認識しました。
また、そんな自分を振り返って観察し、気づいたこともあります。
今回の件だけに限らないのですが、
私は元々、一を言う中に十の情報を持っているような性質の人間です。
つまり、まるで圧縮ファイルをダウンロードするコンピューターのように、
自然にしていても、自分の中にある情報量が何かにつけとても多いのですが、
その全部を外に表現して伝えることをあきらめてしまうことがけっこうある。
言ってもわかってもらえないかも…と思い込んでいるという以上に、
それほど相手が自分に興味を持っているとは限らない、と遠慮してるからです。
その一方で、全情報のいくらかだけをオブラートにくるんだ言葉にしてみても、
本当に私が考えていることの全体像までは、相手はたいてい汲み取れません。
それはそうですよね、
私自身が先に「あきらめて」、全部を伝えようとしていないのですから。
よっぽど自分と似た感性の人でなければ、一を聞いて十を知ることは無理。
また、感性がかなり違う相手だと内容を誤解されてしまうこともありえます。
最近、このテーマに関するシンクロが日常でも何度かあって、
私が「自分という情報をそのまま表現することに対する遠慮」があるために、
はなから、あきらめ癖がついてしまっていたのだなぁと気がつきました。
☆☆☆
さて、当ブログのコメント欄についてですが、
昨年8月にコメントのルールを定めさせていただいて以来、※
さほど多くのコメントがあるわけではありません。
※セッションの場以外でのご質問、ご相談、込み入ったお話等を、
お断りさせていただくルールです。詳しくはこちらをお読みください。
(☆この記事の当時より、現在の内容へと改定しております。)↓
◆はじめにお読みください「サイトポリシーとコンタクト」
ですから、今回コメント欄をクローズすることに決めたのは、
「忙しくてお返事できないので…時間がなくて全部読めないので…」
という理由ではありません。
ただ、私の思うこととして、注意書きに目を通してくださった方々は、
コメントを書きづらくなってしまったのではないかという点があります。
また、ルールに沿わないコメントを非公開にしていると、実質掲載できるのは、
各記事に対する(お気遣いをいただいた上での)ごく短いご感想や、
ともすればいただく賛辞や、感謝のお気持ちを伝えてくださるコメントのみ、
ということになってしまいました。
もちろんそれは、私にとってはいただくのが大変嬉しいコメントで、
本当に気持ちが鼓舞されるものでしたし、コメント欄を通して私からも、
私のお礼の気持ちをお返事として示せることは大切でした。
ただ、客観的に見ると、コメント欄のやりとりがそれ一色になってしまうことは、
読者さんにとってあまり面白くないかもなぁ…ということを考えていました。
以前ほどコメント欄の意義がなくなってしまったのかもしれない、と。
以前がブログ上でのやりとり、そこから派生する記事等、
けっこう力を入れていたので、なお一層そう感じたのかもしれませんね。
ルールを決めることでコメントを自由に書き込んでいただけなくなるなら、
コメント欄自体の意義が薄れていくから、なくしてもいいのかもしれない。
と、ずっと迷っていたのです。
そして、
「いつの間にかコメント欄がクローズしていた」という風にするのではなく、
これまでコメントくださった方々へのお礼の気持ちも書きたかったし、
理由をきちんとお知らせしたかったので、タイミングをはかっていました。
これまでコメントをくださった方々へは、感謝の気持ちでいっぱいです。
幾度となく励まされ、あたたかい気持ちになり、画面に向かってほほえみ、
私の方こそ本当にありがとう!とお伝えしたい気持ちでした。
☆☆☆
最後に、もう1つ。これは皆さんへのメッセージでもあります。
昨日の文章内で、現在の私は「発信に徹したい」ということを書きましたが、
それについて詳しくお話しします。
他の記事でもお伝えしている通り、
私が書くことは、私自身の考えであり、私の感じていることであり、
私にとっての真実です。
記事を読むおひとりおひとりが、どう受け取るかは自由です。
承認や同意をしてもらいたい思いで書いているのではないし、
「これが唯一の真実だ!」と押し付けるために書いているのでもありません。
ただ、発信した記事が、どなたかの心には響くかもしれません。
何かを考えたり感じたりするきっかけになるかもしれません。
どう受け取ってもらうかという点は、もはや私には重要ではなくて、
私は、私の内から湧いてくるものを、表現して発信するだけです。
一方、スピリチュアルカウンセリングの現場の中では、
お客様がどう感じ、どう思うかを受け取ることが不可欠です。
質問があれば、その場でお答えします。
そこで生まれる流れは、お客様と私との「コラボレーション」になります。
参加者のコラボレーションという意味では、講座の現場もそうですね。
ですが、記事において、私のすることは、
インスピレーションや内から湧いてくる情報を「書いて送り出すこと」なのです。
いわば、私はミディアム(媒体)で、それが私の執筆の姿勢です。
読み手のおひとりおひとりが記事に何を思うか、どう感じるか、
好きか、嫌いか…などの詳細は、もはや私の手を離れていますし、
私へお伝えいただく必要がないものです。
なぜなら、あなたがどう感じたかは、「あなた自身へのメッセージ」であり、
あなたが自覚するためのものであり、
それを誰かが受け入れるか否か? どんな返答をするか?ということは、
本質的に重要ではないのです。
記事は、あなたの現実の中の「引き金の役」をしたにすぎません。
そう、ちょうど「鏡」という道具そのものに意味はないように、
あなたはあなたの意識の中にあるものを、反映させて受け取っているのです。
皆さん各々の現実の中での「masumiというスピリチュアルカウンセラー」へ、
あたかもコメントやメッセージを通して話しかけるという形を取りながら、
本当は、あなたがあなた自身へその内容を伝えようとしています。
このことを、どうぞ思い出してください。
あなたの感じたこと、考えたこと、人に伝えたいと思ったことは、
まず、あなた自身へのメッセージなのです。
相手が受け取るか、受け取らないか、同意するか、しないか、
そこに気を取られずにいてください。
人へ投げかけたいと思う内容をあなたが「自分で受け取って」いなければ、
外の人が承認したり回答を寄こしたとしても、根底は満たされません。
記事内容や私へ向けてくださった、賛辞や感謝の言葉もまた同様です。
「それはあなたへ自身のメッセージなんですよ」と、お伝えすることができます。
あなたの中で、あなた自身の素晴らしさが鳴り響いたのです。
私(masumi)という“反映”や、私の記事という媒体を使って。
コメント欄はこれでクローズしますが、
今後もよかったら、どうぞおつきあいくださいませ。
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