BEATS AND LOVE

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毒親という言葉に思うこと

今回のテーマは、「毒親という言葉に思うこと」


いつからか、聞くようになった「毒親」という言葉。

(聞いたことないぞー!という方は、ウィキペディアにも載っていたので、

とりあえずそちらを読んでみてください。→ウィキペディア「毒親」 )


これについて、私なりの視点で、思うところを書きます。

家族療法、アダルトチルドレン(AC)、インナーチャイルドセラピー等…

自分を癒す過程で携わったことのある方には、

理解していただきやすい内容かと思います。


なお、このブログの過去記事では、私の経験もまじえながら、

虐待の連鎖を断ち切るというテーマについてや、癒しについて書いています。

ご興味ある方は昔の記事も読んでみてください。


☆☆☆


私たちは名前をつけて認識することが好きです。

様々なあらわれに名称をつけて認識し、病名や症状名や障害名をつけ、

ひとまずラベル付けすることで、人と共有することができる。

また、それについて知らないという人にも、認識してもらうことができます。


そう考えると、「毒親」という言葉も、すでにその機能を果たしているでしょう。


でも、ラベルがひとり歩きすることには気をつけなければなりません。



「毒」という言葉がつくことの裏側を考えてみると、

本来、親は毒になるはずではないという観念が読み取れます。


でも、本当にそうでしょうか?


そこにはきっと、「理想の親像」もセットであるに違いありません。



自分に子供ができたとき、

まさにその観念、「思い込み」に縛られて、苦しむ“親”もいます。


私は子供のためになっているのか?

「いい親」か? 「ちゃんと」できているか?


それが不安の元になってしまう場合もあります。


教訓をシェアして、そこに焦点を当てることはいいのですが、

誰かが誰かにとって「毒」となる状態があるとすれば、その理由は、

加害者のように見える側の人間もやはり苦しんでいるからだということを、

忘れるわけにはいきません。


誰かがなぜ、「毒」親になったかをたどれば、

背景に代々のその親や、身内や、さまざまな環境があるように…、

本当の根源をたどることは難しいものです。



現在、お子さんを育てている親御さんたちは、

「毒親」という言葉におびえるということはないでしょうか?


「こうであるべき」に沿わなければいけないと考え、

自分を裁き、責め始めると、

結局同じ「矢」が、お子さんにも向かっていってしまいます。



親も一緒に育つという気持ちが大切です。


子育てをしている友人の話を聞いていると、

私は新鮮な驚きに見舞われることがあります。


子供から、親も教えられている。

子供が誕生した瞬間から。その子がどんなに小さくても。

親も一緒に成長し、学び、子供にどんどん育てられている。


それは、「相互関係」なのです。


親から子への一方向の関係だと思い込むと、見失ってしまうものがあります。



子である立場からも、同様のことが言えます。

癒しの途中段階で、そのプロセス(通り道)として過去を振り返り、

「私は何も悪くなかったんだ!」

と、かつての自分をかばう気持ちになったり、憐れんだり、

出てくる感情を受け止めて、新たな認識をはぐくむ時期があるのはいいのです。

その時期を、じっくり取ってもいいのです。



でも、そこを通過するときが、きっと来ます。



するとどんな関係も、たとえあなたが子供の立場で、相手が親だったとしても、

やはり「相互関係」だったのだ、ということに気がつきます。


これは、普段より大きな視点…

「魂的な視点」で眺めるという体験でもあります。



あなたは無力ではありません。


あなたがその状況を選択し経験したのには、

あなたにとってポジティブな(有益な)理由があったということに気がつきます。


そのときになって初めて、

「毒」に見えたその経験は、「毒」ではなかったとわかり、

それまでの見方が自然にほどけていってしまうのです。


それがあったおかげで、あなたにとって糧になったことがありました。

そうでなければ知らなかった、考えなかったであろう深みが、

あなたの人生の中で育まれました。



これを読んでいるあなたは、あとどのくらいの間、

「親の影響で…」という見方を持っていたいでしょうか?


それより、今のあなた自身に力を戻して、

「自分が現在、意識の中で決めていること・思い込んでいること」に気づき、

あなたにフィットする選択をし直すことの方が大事ではないでしょうか。



AC(アダルト・チャイルド)などの概念についてもそうですが、


心当たる人が、自分を知るひとつの手立てとして、

「私にはそういう側面がある」と認め、自覚することは役に立ちます。


でも、概念を、「自分のアイデンティティーそのもの」にしないように、

注意してください。


あなたには他の側面もまた、沢山あるからです。


あなたは、沢山の側面のどれもを知らず知らずのうちに使いこなしており、

あなたが自分のどこへ・何へ意識の重点を置くかは、あなた次第なのです。

それは「過去」によって決まっておらず、あなたの自由なのです。



たとえば、「毒親に育てられた私」というアイデンティティーにはまらないように。

また、あなたと関わっている誰かを、「毒親」というラベル付けをすることで、

ひとつの「型」にはめてしまわないように…


どうぞ、あなたご自身の自由な視点と力を信頼してください。



情報も、知識も、定義も、マニュアルもあっていいけれど、

あなたも、他の人も、それよりずっと大きな存在なのです。


このトピックに関連する記事です→「“聞かない力”と洞察力」


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