こんばんは。
今日のテーマは、「複眼的に生きる」。
昨日の夕暮れの富士山~。雲間からは、光の梯子もかかってます。
夕陽で雲が燃えているよう。
同じ時刻のお月さま。
複眼的に生きる。
「複眼的」とは、字の通り、ひとつだけでない様々な視点を持つことです。
スピリチュアリティーに目覚めて生きるということは、
この、複眼的な視点を持ったまま生きるということでもあります。
それを多次元的な認識、と置き替えてもいいのですが、
今回は、複眼的という言葉を用いてお話ししましょう。
私たちが「個人」としての自分だけに意識を置いているとき、
「単眼的な視点」に集中しやすくなります。
つまり、「自分」と認識している1枠、ひとつの窓からの視点です。
そのような制限が存在しているわけではないのですが、
今フォーカスし経験している“私”のみの見方に固執しやすくなるのです。
それは、視野が狭くなるということであり、
特定の視野から見た物事のみを経験するということでもあります。
たとえば、
地球の地表では激しい嵐が吹き荒れていたとしても、
宇宙には静かな空間もある。
…というのと一緒で、
視野をどこに向けるかで、経験するものは異なるのですが、
そのどれかが「間違っている」わけではないという点に注意してください。
(昨日の記事◆「物事は相対的である」に書いたことと共通です。)
どれかが正しく、どれかが間違っているというわけではなく、
どれもそれぞれ正しい、という見方です。
なぜなら、特定の視野からはそのようにも見えると知っているからです。
複眼的な視点を持っていると、このことはよくわかります。
ところで、私たちの個人の「心」についても同様のことが言えます。
あなたの心の中をのぞくと、まるでたくさんの自分、
たくさんの心があるような気がするときがあるでしょう。
ある自分は「YES」と主張し、ある自分は「NO」を主張するという具合に、
あたかもたくさんのキャラクターがいるような気がすることもあります。
それは実は、どれもがひとつの心の「表現」なのであって、
心自体がたくさん存在しているわけではないのですが、
私たちから「つながり」が見えないとき、別なもののように経験されるのです。
また、スピリチュアルなことをしているとよく経験することですが、
あなたがどんなにつらい思いをし、
どんなに心が壊れてしまうような思いをしても、
心の深層にまでダメージが及んでいることはないのです。
これは、夢の経験を注意深く見ているとよくわかります。
「無傷のあなた」が依然として存在し、
そのあなたは、あなた自身にアドバイスを与えることすらできます。
これも、私たちから見ると「複数の自分」のように見えますが、
「同じひとつの私」なのです。
複眼的に生きるということは、
単に、この世界の「他者」の視点を容認すること、
様々なものの見方を含有して生きるという意味だけではなく、
あなた自身の内についても「複眼的」であることを指します。
あなたが「今」認識している、個人のあなた以外にも、
あなたという存在は様々な形態、さまざまなあり方で存在しています。
この世界でのリアルな経験をしているあなたが、
色々と心を動かし、ものを感じているときにも、
それとは別のことを感じ、見つめているあなたがいます。
そのどちらも認識できるようになると、
この世界の経験というのは様子が変わってきます。
どう変わるかというと、あなた自身の「参加している土台」が変わるのです。
あなたは、ここに参加していながら、
ここに完全に属するものではないということを知っています。
この世界はあなたの延長でありながら、
あなたという存在の土台はこの世界に限定されていないことを知っています。
この世界を見つめている“あなた”としての経験の「目」は、
あなた自身の多くの目のうちの1つであり、
あなたはその1つの目にすぎない者というわけではなく、
今でも、「多くの目を持つ者」そのものなのです。
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