今回は、「人のためにというのは幻想」というお話です。
人のために、という気持ちを持つのは“良いこと”である、
人は利他的になるべきである、
そう心がけなくっちゃ!と信じている方がいたら、ちょっと待ってください。
あなたは「自己犠牲の観念」に基づいた考え方をしているかもしれません。
人のために何かできるというのは幻想です。
こう言われたら、ムカッとする方もいるでしょう。
でも、この言葉を「どう理解するか」には注意してください。
私がお伝えしたいのは、
誰もが、純粋に自分自身のために何かをしているとき、
同時に真の意味で、他者のためにもなる。
ということなのです。
「他者」という見方もまた幻想だからです。
ところが、「みんな繋がっていて、私はあなた!」
というような考え方を基に、
「人のためにすることは、自分のためにすることだから!」
と、「人のため」を先に持ってきてしまう考えもあります。
人のために何かしよう!
一見、美しい姿勢ですね。
「人のために」を第一に考えることは、集合的な観念で、
「利他的である=いいこと、いいひと」と考えられていることもあり、
自分はそこに沿っている、正しい行いをしているという安心が得られます。
良い心がけ、良い行いと信じられるので気分もいいかもしれません。
でも実際は、あなたが本当にある人のためになっているかどうか、
人の気持ちや望みやニーズをわかっているかどうかは、疑問です。
この世界の経験において、ダイレクトに観察できるのは「自分」です。
自分自身の内にしたがうこと、それが「実在」にチューニングするコツなのです。
逆に言うと、
「あなたが思い込んでいる他者のため」と、
本当に他者のためになることとは、ズレることがよくあるということです。
それはちょうど「外に見える反映(鏡)」に気をとられていて、
「自分自身のふるまい」を忘れるようなものです。
ですから、順序を元に戻しましょう。
あなたが、純粋にあなた自身のために何かしているとき、
何らかの形でそれは他者のためにもなる。
このことが納得いかないという人は、
分離の観念をもとに、世界を見ています。
この意味をよく考えてみてください。
「え~! 『人のため』を考えることが先だって、いいじゃないか。
分離してないというのなら、他者のニーズから満たしたっていいじゃない。」
そう思う方も、まだポイントを理解していませんよ。
あなたの世界にて、あなたが本当に「創造できるポジション」は、
あなた自身の内にしかないのです。
それが「操縦席」のようなものなのです。
あなたは、あなたの内なるニーズにこそ応えていくことが必要で、
それによってあなたの経験する世界全体に影響を及ぼすのです。
それなのに、
人のためになっているかどうか…
この人の役に立てているかどうか…
そちらを先に考えると、あなたは「創造者」としての立ち位置を忘れ、
自分の内側からのメッセージを聞くことをやめてしまいます。
それから、「利他的」という観念について。
まず、この点を考えてみてください。
なぜあえて「利他」と言わなければならないのでしょうか。
あなたがよろこんでそうしたいと思い、何かをするのなら、
そのときあなたが自分のしたいことをしているという「利」があるはずで、
充足しているので、「利他」とか「人のため」とかと思わないはずです。
「人のため!」と思っているとき、
「自分を犠牲にする」という思いが関わっています。
私のよろこびになることではないけれど、「人のため」だけに何かをする。
これは、自己犠牲です。
このようなあり方の危険なところは、
思い通りの結末にならなかったときに湧いてくる「怒り」です。
私は、人のためにこうしたのに!
自分のことは後回しにしたのに!
エネルギー的には「交換条件」を前提としているのです。
自分もまた、誰かから自己犠牲してもらうことを期待する。
または「良いことをしたんだ」と認めてくれること、感謝の気持ちを期待する。
他者がそれを拒否したり、思い通りの反応を示さなかったら、怒りを感じる。
自分は我慢したり、すすんで他者を優先したんだという自負があるからです。
そして、そうすることが正しいんだと信じているから腹が立つのです。
「あなたも、私の“ルール”にしたがってほしい。正しい世界であってほしい。」
自分が信じていることを、人にも信じてほしくて、
自分の期待する通りに相手にも反応してほしいと期待すること。
これは、他者をあるがままにさせずコントロールしたいという気持ち、
相手を変えようとするエネルギーです。
こうした思いが生まれてしまうのはすべて、単に、
「自分自身の本当の気持ちや、したいことに誠実でないから」です。
一方、「自分のため」、「ただ自分がそうしたいだけ」
と自覚している場合にはどうでしょうか。
自分がそうしたいからして、結果として人のためにもなった。
これは、うれしいですね!
うれしいけれども、人のためになることを目的としているわけではないので、
人のためになっているようには見えないとき、また、
誰かがあなたを否定したり「それは要りません」いう態度を返すときでも、
あなたは腹が立たないのです。
結末に関係なく充足感を感じていることが、前者とは違います。
人がどうするか、どう思うかに、価値を置いていないということです。
これを、いわゆる「自分勝手」のことだと誤解しないでください。
自分自身の心に従ったら自分勝手になってしまうのではないか…と、
怯えている人もたくさんいます。
でも、それは見当違いです。自分勝手というのは、
「自己犠牲のゲーム」に乗っているとき生じるものなのです。
他者をコントロールしてでも自分の欲求を押し通したい、という考え。
それは、自分自身に誠実であるときには起こりません。
先述のように、他者を動かすという方向にエネルギーが向かないからです。
来る2016年、「人のためにという幻想」から自由になってはいかがでしょうか☆
★スピリチュアルカウンセリング★