今日は「慣れ親しんだ愛の種類」というテーマでお届けします。
愛には種類なんてない!というのもひとつの見方なのですが、
今回の話題では私たち人間の慣れ親しんでいる「愛」と、
ガイドなど、
より広い視点から人間を見つめている存在の「愛」のあり方の違いについて、
メッセージをお伝えします。
人間の思う愛には、
必ずしもその愛を向けられた相手の力にならない愛もある。
相手を縛る愛、自分の思い込みを投影し叶えようとする愛、
特定の条件付きの愛、見返りを期待する愛…
数えあげたらきりがないけれど、そのどれも、
当人は「これは私の愛なんだ」と言うかもしれない。
人間の愛には嫉妬があったり、独占欲があったり、
自分の愛に対して相手からの「承認」を必要としたりする。
こんなに愛していることを認めて!と思う。
「双方向」を必要とする。
ところが、より広い視点から眺めている存在にとっては…
愛はたとえ一方通行のようでも、充足している、愛なのだ。
あなたが気づいても、気がつかなくても、
愛の思いを受け取っても、受け取らなくても、
彼らにとって「ただ愛すること」、「愛を注ぐこと」、
それ自体が充実している。
愛することができることを幸せだね、と思い、
その対象となってくれているあなたの存在に感謝する。
すると人間は思う、
「何をたくらんでいるの?
どんな見返りを期待しているの?」
あるいは、その愛を試そうとする。
「愛しているならこうして見せてよ。
こういう風にして、証明してよ。
そうでなければ、あなたは私のことを愛してなどいないんだ。」
あなたを愛しているからこそ、その広い視点から眺める存在は、
あなたの言葉ではなく「存在そのもの」にふさわしい対応をするだろう。
あなたのうわべの願いや要求という幻影よりも、
あなたの本当の姿に敬意を払い、
あなたの表現に右往左往することはないだろう。
あなたがどんな姿を見せても、その愛を引っ込めることはない。
彼らは「夢の中のあなた」の手を引きつつも、決して、
「自ら夢を創り、夢を編んでいる存在そのものであるあなた」
を忘れることはないのである。
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