今回のタイトルは、「ヘルパー存在たちとの交流」です。
目には見えない、物理的には認識できないけれども、
あなたをサポートしてくれている存在たち…
チームのようでもあり、家族のようでもある、
そんな存在があるのだということを受け入れていても、
一体どうやって交流したらいいの?
と、戸惑ってしまったことはありませんか。
確かに、「この現実と同じ気持ちで」接しようとすると、
困難が生じるかもしれません。
ねえねえと呼びかけても、
あなたの「耳」には何の返事も聞こえないかもしれないし、
どこにいるの?ときょろきょろしても、あなたの「目」には、
いつも通りの風景しか映らないかもしれません。
この次元での物理的な知覚に頼ると、何も起きないことにがっかりして、
そのように交流できないのなら「無いのと同じ」と考えてしまいがちです。
でも、彼らに気づいたり、交流するためには、
(もちろん今だって別の次元ではしっかり交流しているのですが。
あなたが「自覚」をしていなかったとしても!)
この物理的現実の基準で「くっきり、はっきり」何かをつかもう、
という考え方をやめることです。
決して、彼らとの体験が鮮明ではないという意味ではありません。
ただ、私たちの日常の感覚では、
物理的に見えるもの、触れられるもの、聞こえるもの…
そちらに意識が強く向いてしまいます。
それは、ここでの経験にある程度必要なことでもありますし。
たとえば私も、◆「別な視覚(遊びだよ?と言われる2)」で書いたように、
セッションのとき以外、自分で意識してオンにしなければ、
そうしょっちゅう彼らの方へ意識を向けているとは限りませんでした。
このことと関連して後から気づいたことですが、
昨日の記事に書いた☆ツイッターの件☆は、なかなかの教訓で、
たとえそれが「パソコン画面上にあらわれる情報」であっても、
自分にとってはとくに重要・必要な情報ではなかったとしても、
どうしても、「この次元にあるもの」には意識が向きやすいのだなぁ…
そちらに信頼(エネルギー)を置きやすいのだなぁ…ということに気づきました。
別な言い方をすれば、
自分にとっての「意識の距離が近い」けれども“見えない”ものと、
「意識の距離はさほど近くない」けれども物理的に見えるもの、
両方がある場合に、どちらを優先するか。
見えないものの方をないがしろにしてしまう傾向があるのでは、ということです。
想像してみてください。
目の前に、物理的に“見える”けど、あなたの心にとってはあまり近くないもの。
一方で、目には見えないけど、あなたの心にとってはごく近いもの。
その両者があったとしたら、
私たちの一般常識では、前者の方を優先してしまいやすいのです。
とにもかくにも、「物理的に、現実にある(起こっている)のだ」と認めることで。
ですから、大切なのはあなたの「心」を基準にすることで、
サポートしてくれている存在たちと交流するためには特に、
あなたの内面で起きていることに目を向けたり、
物理的には「何もない」とされている空間・スペースにも、
意識を向ける必要が出てきます。
つまり、日常の中でも、
一定のエネルギー(意識の領域)を、彼らとの交流に向ける気持ち、
心のスペース(ときには時間も)を、あけておく意思が必要なのです。
あなたの心の中でそうするという許可、方向付けはできているでしょうか。
と言ってもそれは「意気込む」という感覚ではなくて、
「そうする気になっているよ~」という開いた心があればOKです。
(あまり意気込むとかえって自分で自分を阻んでしまうことがあります。
後日、それについては説明しますね。→該当記事は☆こちら☆)
あなたの日々の現実の中で、
それだけのスペースを持っていられるあり方が大切なのです。
たとえば、退屈を恐れていて、
何も予定がない時間には「物理的に提供されている暇つぶし」に走る、
…ということが習慣になっていると、
実質何かをしているような充実感は持てるかもしれませんが、
“見えない”彼らと交流する方向には、意識は向きにくくなるでしょう。
現代文明では、スペースが空くと何かで「埋めよう」としてしまいがちです。
そうする手段もいくらでも用意されています。
が…
それをやめてみると、そしてあなたの気持ちが向いていると、
あなたのヘルパーさんたちとより親密なおつきあいができるはずですよ♪
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