今年の「生活」面を振り返ってみると、さらに前から種蒔きされていた物事が、「こんな風に実ってくるんだね~」と納得する変化が多かったです。
しょうがないからやってることがほぼ無くなった
「ほぼ」と書いたのは、探せばまだ出てくるかもしれないからです。
でも、見出しの通り、「仕方ないから」やっていることを再検討してきれいに無くしていったのが今年でした。
「ノーシャンプー・ノースキンケア」も絶好調
昨年から始めていたノーシャンプー(洗浄剤を用いずに湯で洗髪し、ときどきヘナでケア)、そしてスキンケアをしないライフスタイルも、それに該当します。
このトピックの最新の記事はこちらでした。↓
◆「湯シャン(ノーシャンプー)何もつけないスキンケア、1年1ヶ月が過ぎました。+鳥の話題。」
そちらで書いたように、髪や頭皮の調子の良さに比べると、安定まで時間がかかったお肌も、昨年とは格段に違うことをようやく実感できるようになりました。
保湿のための天然のオイル等も全て断って1年も経つと、やっぱり自分の肌の回復機能が上がってくるようです。何もつけないでこれだけの状態なら、十分満足。期待以上です。
幼少期から肌質が乾燥に傾きやすい私でもこうなのだから、他の人でも興味がある方なら適用できそうに思います。途中の状態が嫌で、やめたくならなければ……。
ただ、前から書いているように、現在の状態に満足していたり、お気に入りの品でスキンケアすることが楽しかったりする人には、特におすすめしようとは思いません。
あなたの体の声、すなわち心の声に従うことが一番ですよ♪
色んなものが肌に合わなくて、トラブルが起きたり、オーガニックや天然素材を含めた「自分に合うスキンケア用品」を探すことに疲れている人には、参考にしてもらうといいかもな、という程度です。それ自体なくしても、いけますよ!ってね。
(見出しが一見「ノーミュージック・ノーライフ」みたいな調子だけど、「ノーシャンプー・ノースキンケア」か 笑)
美容室ストレスにもさよなら!
昔、「美容室がストレス」という旨をたまに記事で話題にしていました。
私はかつてはカラーもパーマも色々やりたかった方でしたが、薬液等が体に合わなくなって、施術中のみならずその後の生活でもしばらく余波が感じられるほど、自分の体に良くないのを感じるようになり、それがもうけっこう前のことでした。
それ以来、極力シンプルなケアに務めていたものの、やはり美容室に行くと、スタイルに合わせたパーマなり、カラーなり、それに伴うトリートメントなり勧められて、私も気分が向くと時折取り入れる、ということを繰り返していました。
もちろんその中では、「オーガニックブランド」、「体に優しい自然派カラー」、価格は高くてもできるだけ刺激がないよう「成分にこだわって」選ぶようにしていました。
けれども、それでは結局体の反応は(多少マイルドになることはあっても)「不快」を示していて、完全にこれは「望む方向じゃない」と方向転換したのが昨年です。
そこからは、カットのために美容室に行っても、美容室のシャンプーを使ってほしくないので当日の朝必ず家で自分で洗髪するようにし、メニューに含まれるシャンプーを断って、カットのみしてもらうよう徹底していました。
また、私は大人になってからなぜか髪質が直毛、ストレートになり、元々しっかり弾力のある髪なので、カットだけでは「ゆるふわ」とか「くしゃっと」とか「エアリー」のニュアンスは出せないことが多かったのです。
それもあって、美容室ではパーマを勧められたり、「軽く見せるため」カラーを入れることを提案されることも多かったのでした。もちろん自分の趣味もそこに加わってのことですが。
まぁ、ないものねだりも、してたんですよね。
それが、ノーシャンプー生活を始めるしばらく前に、先に、「アメリカのラップやR&Bが好きだ!!」という自分の心を再確認する時期が訪れ、そういったカルチャーをずっと愛し続けていることを「改めて認めた」ときに、海外旅行時にしかやったことのなかった「ブレイズ」を実現したくなって。
細かい三つ編みでできているあの髪型、アフリカやアフロアメリカン系の方たちのふわふわの髪に適しているんですが、とりあえず私は十分な長さまで髪を揃えて伸ばそうと思いました。
つまり、これまでのような、一般の美容室のカタログに見られる類のヘアスタイルを追うのをやめたのです。
他のニーズに加えて、当初それが今のライフスタイルを後押ししてくれたことは間違いなく、おかげで楽しい気持ちでスタートできたのでした。
ところが1年経って、すっかり「シャンプー?それ何だっけ?」な状態になってからは、心も自然と変わっておりました。
自分の生まれつきの髪質に逆らう好みが、芽生えなくなったのです。
今のところは健康な髪をそのままロングにしていっているのですが、時折楽しむヘナと、前に落ちてきがちな髪の生え方と自分の顔かたちに合う、帽子やヘアアクセサリーなどを楽しんでいます。
これが快適で、早くこうすればよかったー!と驚いたけど、過去に色々やってみての今だからこう思えるのかもしれないですね。
何にエネルギー、時間や費用を使うかも変わった
上で紹介した過去記事で、楽器を買ったことに言及したときと同様のテーマです。
「仕方なく、していること」をやめると、その分の「エネルギーの用い方」が変わります。
そしてエネルギーの用い方を、物質世界で反映する一つの形が、時間やお金の使い方です。
たとえば、行きたくないのに行っていた美容室。
カラーやパーマを実行してしまった後は言うまでもなく、髪を軽くするカットも伸びてくると形がアンバランスに崩れるので、一定期間でのお手入れが必要でした。
近年はすでに、美容室は私にとって心地よい空間ではなくなっていたので、それらのニーズが「仕方なく発生」していなければ、足を運びたい場所ではなかったのです。
気持ちは向いていないのに、行けばまたそこで次の必要が生まれて、さらに行き続けることになるという、バッドサイクル。
これも「気分転換になる」、「楽しみ」という人の場合は、別の話になりますからね。
動機から注目してください。
こうした「本当は望んでいない」ことを根本からやめたことは、とても良かったです。
そこに費やしていたエネルギー、物理次元で眺めれば時間やお金もですが、全部がかからなくなって、使いたい方へ使えるからです。
本当に好きなこと、自分の心が満たされることに費やすエネルギーは「失う」感覚ではなく、さらに自分を元気にしてくれますね。
美の感性もいろいろ
これらの経験をしながら、私が認識を深めたのは「自分の思う美」についてでした。
これまでも自分なりのセンス、惹かれるスタイルはあったけど、それが現実レベルでくっきりはっきりと表現できてはいなかったんですね。
一例を挙げると、私は美容室でよく置かれているファッション雑誌に出てくる髪型やメイクやファッションが好みではありませんでしたが、見るからに「全然そっちの好みじゃないよね」と明確にわかるほどの違いは、自分が表現していなかったのです。
(そういう雑誌を美容室で出されて暇つぶしにめくった場合、かつてファッションジプシーを共に経て、今では自分の趣味がはっきりしている妹に報告し、感想を共有するのがお決まりでした。普段それらを見ない上に、価値観も違うと、そういった雑誌への違和感はかなりのものなんです。「モテ・コーデ」とか「おフェロメイク」とか……笑)
つまり、無難。
せいぜい自分の好みを反映させる「安全ゾーン」があって、そこから出過ぎないことを無意識に自身に課していたのかもしれません。
色々試してファッション・ジプシーをした後に、長年ほどよく落ち着いていたコンフォート・ゾーン(本当の満足ではないが居心地が良い領域)内で。
それも少しはあって、美容室でも「なぜ、巻き髪をよく勧めるのだろう……?」、「どうしてお嬢様(あるいはお姉様)風に仕上げたがる!?」など、自身の希望をコミュニケーションをしてもなお続く「埋められないすれ違い」が起こっていたのかもわかりませんね。
ライフスタイルの変化とともに曖昧さは消え、自分なりの好き!にワクワクな日々です。
こんな「副次効果」は予想もせず、期待していたわけじゃなかったたけれど。
自分の真意に沿うようになると、「ない、ない」と思っていた「ちょうどいい商品やお店」も、見つかるものなんですね。
人生の不思議。昔から、ちょうどよく種は蒔かれていた。
私の好きなアクセサリーも、このトピックに挙げられます。
愛用のボディピの話
私は初めてピアスを開けたときから「ボディピ(ボディピアス)」を愛用しており、途中には華奢でかわいいアクセサリーピアスを中心に選んでいた時期を経たものの、相当前から結局、ボディピ愛用者に戻っています。
一番の原因は、多くのピアスにアレルギーが起きるようになってしまったからです。
ジュエリーショップやアクセサリーショップに並ぶ多くのピアスが、残念ながらだめになってしまいました。もちろん、アレルギー対応の素材など試したのですが同じでした。
そのため多くの、過去に選んだお気に入りは「お蔵入り」となってしまいました。
高価なものはほぼありませんが、デザインが好きだったものが着けられなくなったのは、最初さみしかったです。
それからは、ピアスホールを安定させるために、引っかかりづらい形状のボディピアスを常時着けるようになりました。そうするとトラブルは全くないんですね。
ただ、昔はこのボディピアス、扱っているお店も今ほど多くはなく、販売されている種類も、もっと限られたものでした。デザインもゴツめで、「かわいさ」を求めるのが難しかったり。
それで「新規開拓」はあきらめ、かつて持っていた数種類のボディピアスのうちで気に入っている方のものを、おしゃれのためというよりはもはや「穴を安定させ続けるため」着けていたんです。
そもそも私がボディピを愛用するようになったのは、かつてボディピも扱っているお店で働いていたことがあるからです。「も」と書いたように、その専門店ではありませんでしたが。
自分が両耳のピアスを開けてそう経っていない頃に、すでにボディピを沢山入れている人たちに囲まれ(中にはホールを拡張している人ももちろんいました)、耳のみならず、お臍や鼻や色々な場所のピアスをお買い上げになるお客様と接していたわけです。
各商品の使い方や拡張の仕方なども聞かれることがあり、自分で経験していないものは経験者の同僚に教えてもらって、知識は必須の環境でした。
ボディピには色々な太さがありますが、多くのアクセサリーショップで売っている細いピアスよりも「痛そう」とか「トラブルにならないか」との印象を持つ方もいるかもしれません。
ですが、実はトラブルになりやすいのは細いピアスです。
そこそこ太さのあるピアスの方が、穴が安定します。
私の場合、条件を加えて、サージカルステンレスの素材を選ぶとトラブル知らずです。
話を戻すと、今は沢山の「かわいいボディピアス」を扱っているショップがあるんですね。
私、今年になるまで、そのことを知らなかったんです!
ボディピアスに選択肢は少ないものとあきらめて、はるか昔に買った数種類のボディピアスを使い回す日々でした。
ですから、色んなデザイン、色んなテイストのボディピアスを取り揃えているお店が多くあることを発見したときには、「何これ、夢!?」という喜びでした。
再び、ピアスをアクセサリーとして選ぶ・飾る楽しみができた!と。
さらに言うと、かつてこそ働いていた環境のため「その場の流れでボディピ愛用者になった」ことが否定できませんが、 今では、私自身がボディピアスを好きになっているという不思議。
自分の体を痛めず調和してくれるものだったからなおのこと、かもしれません。
私には、体への負担をかけない楽しみ方であることは大切な条件になります。
それは個人の基準に沿って、という意味ですが。
ボディピアスも耳に複数飾る以外は、他の部位への穴開けに惹かれないのもそのせいです。
好みの問題もあるけれど、自分の体には負担になるだろうとも感じているからです。
ところで、長年経った耳のピアスホールが塞がってしまった人が私の周囲にもいましたので、
以下の情報は私には有効だったということで、実践は自己責任でお願いしたいのですが、
通常の細いアクセサリー・ピアスでホールが不安定になりやすい人は、それよりちょっと太いけれども通せるボディピアス(たとえば18Gとか。そんなに違いはわからないくらいの太さ)に入れ替えて、そのまま取り外しせずに根気よく過ごしていれば、安定するかもしれませんよ。小さくて軽い輪っかの形状が、引っ掛かりづらく負担がないのでおすすめ。
シャワー時にお湯で、ピアスを外さずにずらして洗うのはOKですが、頻繁に外したり消毒したり何かを塗ったりはあえてしません。
ただし、ボディピアスに付け替える際、ホールにピアスがスムーズに入っていかない場合は、ぎゅいぎゅい押すと痛いですから、ワセリンを軸やホール周りに塗ってすべらせると刺激なくおさまります(ひどいトラブルのときには無理をおすすめしません、ご判断は慎重に)。
ワセリンと書いたのは、消毒ジェル等は余計なトラブルになることもあるためです。
まとめると、今ボディピアスを好きになっている私の「種蒔き」は、遡るとはるか昔に為されていて、そのときは気づかなかったけど、後に活きたんだ……という気づきがありました。
当時は、自分が店のテイストから若干浮いていないか心配していたのですが(笑)、まさかの今実感がやってきたわけです。
意外なところで熱い思い
さらに、その時期の少し前から私の人生にタトゥーを入れている人たちが登場していました。
もちろん一緒に働いている仲間にも多くいました(仕事場では隠していましたが)。
それぞれの個性は色々でしたが、みんな本当に、今振り返っても気のいい人たちでした。
タトゥーは最近の記事でも、こちらや、
◆「【シリウス・プレアデス編】歴史を見るときも魂の視点を覚えておくこと」(記事後半が該当)
こちらで、
◆「注目しているアーティストBaby Eの紹介とタトゥーの話」
ふれているように、私はタトゥー文化をリスペクトしています。
(ここではタトゥーとまとめて呼びますが、刺青など色々な彫り物の文化を。)
特に、各部族の伝統的なタトゥーについては、なぜか郷愁のようなものすら感じて懐かしいと感じます。その感覚の出どころは、私なりの考えを、1つめの記事で簡単に解説しています(宇宙文明とも絡めて)。
どういうわけか自身のスピリチュアリティーに寄り添えば寄り添うほど、その要素は無視できないものになってきました。「熱い思い」と言ってもいいほどの何かが、そこにはあります。
タトゥーに対して感じる根源的な思いが意外に深かったことを、今年は発見しました。
そしてこれも、早い時期に「後になってからわかる種が、蒔かれていたんだな」と。
昨今、ファッションとしてもタトゥーを入れている人が増えてきているとはいえ、人生で周りにそういう人が皆無という人もいるのであろう中、自分の人生の印象深い折々に、タトゥーを入れている人たちが登場していた意味がわかるような気がしました。
私たちの日常で、服装や髪形による表現は(服を着ることは義務にもなっているし)、一般的です。
表現とすら意識せず行っている人も多いでしょうし、ファッションを通して自身の感性や美を表すことが大好きな人もいるでしょう。そこには、趣味の違いはあれど、多くの共感や理解があります。
一方でタトゥーは……拒否反応を示す人も多い分野です。
はるか昔、古代日本にはタトゥーを入れていた文化が存在していかもしれないけれど(さらに言えば、アイヌや琉球の人々、今では日本人と総称されている方たちの文化に、それは確実にあったのだけど)、そういった記憶は忘れられたか塗り替えられてしまいました。
その中には、美の目的のみならず、通過儀礼や成人になった証として、あるいは人生の意味を持つポイントで刻まれた彫り物もありました。
元々それは、肉体も一時的な「魂のキャンバス」として理解していた人々の表現だったのではないでしょうか。
現代文明では、「肉体と自分を同一視」する考えが強すぎる傾向ですが。
私は自分の体に愛情を持っている一方で、「大切な借り物」のような感覚は常にあります。
いつか大地にお返しするものであり、同時に「より大きな私の一時的な姿」でもあります。
その感覚がはっきりとしているので、どうしても、「ふーむ。今はこういう姿だったっけな」という感じで、自分の体=私と思い込む、あるいは「鏡に見える自分の姿=私である」という風になじみ切ることがありません。
まして、夢で別の自分として活動をした直後など、「えっと、今度はどの現実にいるんだっけ!?」と、一瞬迷いそうになります(笑)
そんな私にとって、ささやかながらピアスもそうですが、タトゥーも「自分の意識に沿って、自分仕様の表現にする」という意味で、非常にわかりやすい「アレンジ」です。
先述の通り、体に負担がかかるのは好きではないし、過去記事に書いたように、時期によって好みが変わる傾向もある私は、自分がタトゥーを入れるという望みを持って来なかったため、なぜタトゥー文化に心が共鳴するのかもきちんと考えてみたことがありませんでした。(これまでは。)
とはいえ、タトゥーへの偏見はなくなる未来になるといいなと、強く思っていたのです。
温泉地出身の母の話ですが、子どもの頃毎日通っていた共同浴場では、もちろん体に彫り物がある方もいたそうです。様々なお仕事やいきさつを持つ方も、皆お風呂に入りますから。
小さな頃から色んな裸を見ていて、色んな体、色んな経験、色んな人生が存在することを自然に受け入れていたそうです。
日本の文化って、そのように地(じ)で根付いている大らかな側面があったはずだよなぁ、と私は思います。
自分ってこういう人だったんだとクリアーになった
よくよく辿れば昔から根本的にはそうだった、と気づくことがたくさん前面に出てきて、
はっきりと「自分はこういう人なんだな」とわかった年でした。
あなたの2017年は、いかがでしたか。
2018年、どんな風に生きたいですか。
具体的な目標や、形の定まったゴールが浮かばなくてもかまいません。
ただ、あなたの心の奏でる音色に耳を澄まし、
あなた自身が心地よく響く「あり方」を、積み重ねて行ってください!
それはきっと、気づくと1本の道になっているはずです。
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