BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

豪華な桜と、門出

先日、千鳥ヶ淵の桜を見に行ってきました~。

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日曜日の講座の会場周辺の桜並木もきれいですよと書いた通り、国立市の桜も素敵で堪能していましたが、千鳥ヶ淵の桜が見たい!と声をかけられて、気軽に出かけていきました。

九段下周辺を歩いたことはあったものの、桜の季節は初めて。

到着してみると、桜を見に来ていている人たちで、かなりの人出でした。
外国人の方もたくさんいましたよ。多国籍でした。

私が行った日は見事に咲いているものの、木によっては満開をちょっと過ぎたくらい。
同じ都内でも国立の桜の方が少しだけ開花は遅いんだな、ということが見て取れました。

お天気がとってもよかった!

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青空の下の桜は映えますね。

カメラを持って行ったはいいが、けっこうマニアックなところからばかり撮影していました。

この写真は、「千鳥ヶ淵っぽい」かな?

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はじめに北の丸公園をゆったり時間をかけて散策したのですが、
北の丸公園って、江戸城北の丸があった場所でしょ!」
と、江戸時代に思いを馳せてワクワク。

ご参考に。環境省_北の丸公園(皇居外苑北の丸地区)

その頃はどんな様子だったんだろう……と想像しながら、位置関係を含め、エネルギー的にも色々考えて造ってあったんだよねと、普段暮らしている東京に別な姿をオーバーラップさせる心境になりました。

あたりには広葉樹が多く(どんぐりが落ちている場所もあり)、たまに見かけるスギやヒノキばかり植林されてしまった姿があまり好きでない私としては、色んな木があってGood!

穴場を見つけてお弁当を食べたり、公園の芝生に座っておしゃべりしたり。

素敵な大木の根っこ(桜ではない)と、舞い落ちていた桜の花びら。

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腰を下ろして休んでいると、いつの間にか可憐な花びらが人の上にも物の上にも降り注いで。
どこで景色を眺めていても、日の光のもと舞いながらちらちらと輝く桜の花びらの光景が、夢のようでした。

門出、そして新しい世界。

前回の記事に書いたように、
「夢は義務という感覚ではなく、あなたを元気づけるもの」

beats-and-love.hatenablog.com

また新たに「門出」の気持ちになっている私には、豪華な桜を眺めながら、出立の祝いをしているすがすがしい思いがしました。

振り返ると、成人してから私は、4年以上同じ場所に継続して住んだことがありません。
これは自分でも今回気づいてびっくりしたんですけど、MAXで4年だったんです。

上の記事で書いたように、決して引越しが好きなわけでもないのに(中には、色々な所に住むこと自体が好きな方もいますよね。次はどこに住もうか考えながら物件を吟味することが趣味とか。私はそういう感覚はないのです)そうなるのは、そのときどきで別な理由も関わることがあるにしても、結局私にとってある時点で、住んでいた場所との「引き合うエネルギー」が明らかに完了してしまうからです。

どんなに気に入っていた街でも、あるとき、
「あ、ここですることは全て終わった。」
と、感じるときが来るんですね。

今回活動拠点にしていた国立は、2012年に住み始めて以来、一度離れて、そしてまた数ヶ月後(2016年)に戻ってきたという形で、トータルでは5年ほどいましたが、自分の心を注意深く観察するなら、ついに「ここですることは終了!」の感じが芽生えていました。

何かに不満を抱いたり、嫌いになったりしたわけではなくとも、それはやってきます。

こう振り返ると、私は定住型ではなく移住型の人間と言えるのか……
わりと早い段階(高校生)で自分の意思で海外留学したのも、その性質が関係しているのかもわかりません。

もしくは、それまでは一応、様々にあったからこそ選んでいたという「都合や利便性」を抜きにすれば、東京都にこだわりがない、ということも一因になっているのでしょう。
もはや私にとって、「なんで東京に住んでいるのか?」という答えは何もありませんでした。

適度な煩わしさが魅力に変わるとき

今でも東京都、別に嫌いではありません。
でも、私にとっての魅力があるかと考えてみれば、特にはありません。

加えて言えば、今回いた場所は空が見えづらかったり、自然のエネルギーにふれにくかったりしたことも、非・魅力、ではありました。
大自然の中でなくても構わないけれど、月や星を毎晩しっかり眺められるスペースはほしいし、周辺に草木が少ないとなんだか生きている感じが薄れます。

新しく発見した魅力に、忠実に。

かつては確かに、都内(の様々な街)での暮らしは私にとって便利でした。
過剰に人から干渉されることもなく、ちょっと出かければ何でも手に入り、気分転換も簡単。

クリーンで、いい意味で孤立していられて、自分に集中するにはちょうどよかったのです。
(東京生まれ、東京育ちでずっとその土地にいるという方はまた違ってくると思いますが。)

それが今では、「適度な煩わしさ」を面白く、魅力的に思うようになりました。

そんな風に自分の感じ方や発想が変わると、行きたい場所も、住んでみたい場所も、やっぱり変わってくるのです。
いや、変わるというより実のところは、身につけた観念や余分な恐れが根こそぎなくなって、元々自分が望んでいた要素が前面に出てきた感じかな。

前回の記事で、
「昨年は、時代的にも、核家族的あり方が変化したり、都心に集中する暮らし方がだんだんなくなっていったりするのではということを自然とよく考えるようになり、友達ともそのテーマで話していました。」
と書きましたが、これは何かひとつのあり方のみを、正解とする意味ではありません。

ただ私は、日本の社会であるときから核家族化が進み、その方向にバランスが傾きすぎたのをだんだんと修正しつつあるのではないか、ということはずっと感じています。

それに伴う社会現象が起きていることも、不思議ではないのです。
社会という集団をひとつの「生き物」と考えると、一方に極端に傾いたら、バランスを取ろうとして、その構成員の中で必ず変化が起きます。
その流れの中で、単に昔あったあり方に回帰するのではなく、新しい形の家族形態や共同体が生まれるかもしれませんが。

一例を挙げると、成人したら(もしくは学業を終えたら)家を出て暮らす。仕事のためなら、都会に出ること、そこで生活することが当たり前。そんな「定番コース」がありました。
その結果、若者が極端に少なくなる場所も出てきたわけですが、そうした風潮はどんどん変化していくことでしょう。

「幸せの均一化、豊かさの画一化」もなくなっていくでしょうし。
ひとりひとり、何を幸せと思い、何を豊かさと感じるかは異なるのだという自覚が、集合意識的にも進んでいるのです。

観念を変えていくと、別な世界が見えてきます。
意識が変わったとき、新しい魅力を発見します。

あなたの「門出」は、何でしょう。
この春、芽吹き、育っていくものは、何でしょうか。

これからも続く交流と、そしてこれから出会える方たちと、それを共有できることを楽しみにしています。


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