BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

すべての存在に価値があり、どちらかに善悪は宿らない

近頃の夢の流れなどもあって、新しい視点を元に、二極の性質というものを俯瞰していました。これまでよりも、より深く、よりまっさらな目で。

該当する夢の内容はこちらからご覧いただけます。

beats-and-love.hatenablog.com

中でも、★前回の記事★で、私が二極の統合という方向に話をまとめなかったのは、意図してのことでもあります。

あなたも、精神世界やスピリチュアル分野のお勉強で、「統合が大事」と聞いたことがあるのではないでしょうか。
たとえば、2つの極に分かれていると考えていたものを、1つに統合するということを。
元々ひとつのものであるということを「忘れていた」ときには、そうすることは大切ではありますが、決してそのことがゴールではありません。むしろ、「スタート地点を思い出した」という段階です。

ですから、私が今眺めている観点は「統合を目指すこと」とは異なっていて、
前回テーマにした「陰と陽」という見方にしても、
「元々1つである存在が、多様な表現をしている中で、あえて陰と陽という表現を作った意義は深い。そして、そういったあり方にも様々なバージョンがある。」ということなのです。

極性を作るとき問題になることは、この地球上では多くの場合、どちらかに「善悪」や「価値の差」をつけたがることです。

結果としてそれが歪みや、バランスの偏りを生み出すのですが。

これについてお話しするべく、「すべての存在に価値があり、どちらかに善悪は宿らない」をタイトルにしました。

のび太の世界にはジャイアンが必要で、きれいなジャイアンではその役割は果たせない。

多くの方が大体知っているであろう漫画「ドラえもん」の世界をたとえに出します。

のび太君はいじめられっ子で、特に彼をいじめる「ガキ大将」ジャイアンは、のび太にとって同じ学校の友達でもありますが、気の重い存在です。ジャイアンとつるんでいるスネ夫もですが、のび太の世界で元凶として存在感を放つのはジャイアンでしょう。

いつも「やられっぱなし」ののび太は、ドラえもんに頼り、色々な道具を出してもらいそれを利用することで、「不満のある現実」を変え、自分の願いを叶える体験をしようとします。
その結末は皆さんご存知の通り、失敗して懲りたり、何かしらを学んだり、色々です。

のび太にとって、自分を苦しめたり邪魔したりする要素を「変化させよう」とすることはよくある発想ですが、物語を読んでいる方には、のび太の世界に「ジャイアン」が欠かせない存在であることも感じ取れます。

想像してみてください。
ジャイアンがある日転校するか何かで忽然とのび太の世界から消えたとしても、のび太はまた別の強い誰かにいじめられるか、出来杉君あたりをコンプレックスに思って、ぐじぐじするかもしれません。それはありそうなこととして、読者も想像できます。のび太の世界には、平和が訪れそうにはない気配があるのです。
それは、のび太という人間本人の意識・心の構造が変わらないからです。

あるエピソードで、ドラえもんの道具である「きこりの泉」に誤ってジャイアンが落ちてしまい、代わりに「きれいなジャイアン(容姿も、心も美しい)」が出てきたことがありました。
エピソードは、困って終わりになり、次の回からその「きれいなジャイアン」が続投することはありませんでしたが(笑)

のび太の世界では、「きれいなジャイアン」では役割を果たせないのです。
もし仮に、本当のジャイアンはどこかへ消えてしまって、きれいなジャイアンしか存在しなくなったら、先に述べた通り、のび太はかつてのジャイアンの代わりに、のび太を苦しめる誰かを「世界に見出す」でしょう。

のび太の世界では、ジャイアンの「あの個性を必要としている」のです。

その上で、いつかジャイアンを乗り越えたり、対等に話せるようになったり、気にもしなくなったり、あるいは時を経て再会したときに「お互いあの頃は子どもだったな」なんて語り合うことができるかもしれません。
振り返って、子どものときは彼のことが怖かったんだな~なんて、しみじみ自分をおかしく思うのかもしれません。

この例をエネルギー的に理解しましょう。
のび太の世界(観念)の構造では、ジャイアンという「個人」でなくとも、あのようなエネルギーの人間を「自ら創り出して経験していた」と言えて、それは「のび太自身の一部である」のです。

「対象に見えるもの」、この例ではジャイアン」を物理的に排除しても、意味がないことを覚えておいてください。

あなたは地球が大好き。この世界をどんな「理想の“高次元文明”」より体験してみたかった!

あなたをはじめ、この地球に関わるどんな存在も、地球のことが好きで好きでたまりません。

何らかの形で地球に心奪われ、愛してしまった者たちです。
それは、あなたが「地球にネガティブな影響をもたらしている」とか、「ネガティブな存在である」と判断した者たちにも当てはまります。肉体のある・なしも、地球人か異星人かも関係ありません。

みんな太古の時代や未来も含めて、どこかの時点で元地球経験者だったり、
地球に自分の一部が何らかの形で携わっている存在ばかりです。

それぞれが、自分の「善い」と思う目線から、地球に関わっています。
あたかも「憎んでいるように見える」ときですら、そうです。
憎しみは、対象への想いや関心がなければ生まれません。
考え方の相違はあれ、地球に思いがあるから、関わってしまうのです。

そんな各自の思い方や行動に対して、「善」だの「悪」だのとラベルを付けるのは、あなたの観念、何を信じているかという基準の「ものさし」次第です。

その「高次元世界」、本当にあなたの理想ですか?

中には、チャネリングなどの情報、異星人や別の次元の存在からのメッセージの描写から、「そんな“進んだ”世界に生まれたかったなぁ」とか「地球もそういう世界になったらいいのになぁ」と「理想」に思える世界を持っている方もいるかもしれません。

よろこびしかないんだって!
それぞれが自発的に動く以外、労働はないんだ!
愛に基づいた世界で、争いがないんだ!
男女の区別もないんだ!

……など、地球とは異なって見える環境に「自分も、そういった高次の存在に進化したい!」と考える人もいるのかもしれません。

でも、あなたは、別次元、別の現実ではすでにその存在でもあるんですよ。
思い出してください。

そんなあなたが、なぜ「地球を体験したいと思ったか」。

別の次元では、思えば実現する世界。それが当たり前でした。
よろこびを元に行動すること。それも当たり前でした。

そうでない体験ができるなんて……めちゃくちゃ面白そうです。

率直な感想として、スピリチュアル分野で時折登場する、「より進化している」と言われる「○○星の生き方」などの世界を知っても、私は、
「ほう、それはそれは……でも、それだと霊的次元の多くと、そう変わりませんなぁ」
といった気分になってしまうことがあり、憧れの感覚はありません。

地球には、地球の未来世界があって、それは私たちが決めていくというのは事実です。
ただ、私は、この星独特の個性、重ねてきた経験があるのだから、どこかの星をお手本にしなければならないとは感じず、ユニークな要素として価値を置くものであると思うのです。
その独自性をもっと、ここに参加しているメンバーとして自覚してもいいのではと。
だからこそ、楽しいのですし。

「囚われ」って別に、「悪いこと」ではないです。

夢をはじめ様々な体験を通して私は、「囚われ」の状態にある存在をご案内する、必要な手伝いをするということもしてきました。
昔からそれは「自分としては意識しないまま、勝手に起こる」ことであり、意図して行う感覚ではありませんでしたが、自分の根底にある理解をここで説明します。

現実は、本来「意識で創られている世界」なので、特定の観念に強いこだわりを持つと、自身の思い込みや感情に縛られ、それが「その存在のリアルな現実」になってしまっている場合があります。それは実際にある現象です。

人によっては、それぞれの世界観に従って、それを解く「お手伝い」をすることを「リトリーバル/レトリーバル(英語の「retrieval」から)」と呼んだり、成仏させるとか浄霊光に返すとか呼ぶ場合もありますね。

でも、ここで大切なのは、「囚われの状態」も別に、悪いことではないという観点です。

たとえばあなたが、「自分の魂のために、囚われている『魂グループのメンバー』を全員リトリーバルしなければ!」とか、「世界を浄化するために、留まっている魂を救わなければ!」と思うのなら、それもひとつの観念です。

私はそのように感じたことはありませんし、そう信じてもいません。

あなたが「地球卒業」したいのなら、心からそう思うのなら、選択は自由です。
「そのためにリトリーバルを完了させなければ!」という方程式を考える必要はありません。
「世の中の浄化」も、あなたに課せられた使命ではありません。

囚われの状態にある存在と何らかの理由で関わるなら、「自分の意思による体験」として受け入れるということです。
「自分のただの関心」と思って行動するか、「使命や義務でやらなければならない」と思って行動するかの違いは大きいのです。

「救わなければならない存在」や「浄化すべき存在」というのはいません。

自分が心ひかれ、そうしたいと思う経験があるだけです。
表層の自分がその動機を理解していないこともありますが、あなたの望んだ経験です。
そして、「経験」には等しく、価値があるのです。

救うべき存在も悪もなく、お互いに経験する協力関係があるだけ。

私は、この夢で出会ったような、ときにはそれよりもっとパワフルで不可解な、世間のフィクションで表現したら「邪悪」と考えられてしまいそうな存在も、存在価値がある愛しい仲間と認識しています。

状況の中で、自分のそのときの立場次第では煩わしく思ったり、個人的感情は生じても、その存在を消したい、抹消したいとは思いません。
どの存在も価値があるし、存在根拠がある。存在していてほしいと感じています。

お互いに何か他のものに変化して、別な立場で向き合うことはあっても、それは変化であって「消える」ということではないですね。
ですから、何かを善悪やポジティブ・ネガティブに割って、悪やネガティブと判断した方を「根こそぎ消そうとする」考えに共感することがありません。

救う人は救われる人だし、戦う人は戦う相手を必要とします。

二人で踊るダンスにパートナーが必要なのと一緒で、自分が一方を引き受ければ、もう一方も存在するのです。

巷に「善悪の闘い」と見なされるものも、「戯れ」のようなものだと感じます。
その経験を通じて、さらに深い何かを引き出している、協力関係にあるダンスです。

その心のあり方からは、仮に「囚われの状態にある存在」と出会っても、いつも「救わなければ!」とか「かわいそう!」とは思いません。
自分の心に関わりたいという感覚があるときは、関わりますが、対象となる存在自身のあえてしている経験が、本人にとって「すでに十分になっているか」も大切だと思うからです。

関わりかけて、「あ、ノーなんですね」と気づくときもあるのです。
一見苦しそうに見えるけど、まだ味わったりプロセスしたりしている最中で、余計な手を出してはほしくないんですね、と学ぶこともあるのです。

「囚われは悪い状態」という観念から離れれば、動きたがっていないものを無理に動かそうとする葛藤から離れることができます。

それは、一人の人間の心の中にしたって、そうです。

あなたの中で、何かに無理な力をかけていることはありませんか。
「消さなければいけない」何かと格闘していませんか。

それは本当に、消さなければいけないものですか。

あなたがその存在を認めれば、それはもはやあなたを悩ませず、そのままで役立つか、何かほかのものに変化していくのではないでしょうか。

陰陽太極図が表しているもの

陰陽図が表しているものを眺めると、陽の中に陰が点として存在し、陰の中に陽が点として存在しています。 

Yin yang

画像はウィキペディア「太極図」より。
同サイト内の文章から、一部を引用します。

『……やがて陰は陽を飲み込もうとし、陽は陰を飲み込もうとする。陰が極まれば、陽に変じ、陽が極まれば陰に変ず。陰の中央にある魚眼のような白色の点は陰中の陽を示し、いくら陰が強くなっても陰の中に陽があり、後に陽に転じることを表す。陽の中央の点は同じように陽中の陰を示し、いくら陽が強くなっても陽の中に陰があり、後に陰に転じる。太極図は、これを永遠に繰り返すことを表している。』
(引用終わり。)

陰の中に陽、陽の中に陰がある。
「二極化」しているようでも、それが本当に別々の2つになることはないのです。 

それがわかっていれば、「違いを持ったまま、差異をなくさないまま」調和できるのではないでしょうか。

一例を挙げると、人間の「男性」と「女性」と性が両方あることは問題ではありません。
それぞれの心地いい多様なあり方を認めることは大事ですが、皆が「中性的」になる必要はないですよね。
同様に、他の星や次元に性別の分かれていない文明があっても、その方が「進化している」と言えるわけでもありません。

「同じに揃うこと」ことや、「画一化すること」を、未来世界として私は目指しません。
違いによって生まれる意外性や発見、その楽しさや美しさが好きだからです。

また、ひとりの人の中に多種の要素があっても、その全てが自分だとわかっていて、自分の中の風通しが良ければ、自由に行き来できれば十分なのです。
「これが自分だ!」とひとつの要素に固定しなくても。

私たちの今体験している設定の中で、極性も包容したまま、創造的な冒険をより楽しむことはできるのですよ。


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