あけましておめでとうございます。
グレゴリオ暦(太陽暦)の新年も、各種イベントごとも、個人的にはもう、「人間生活のおつきあい」といった感覚になっていて、私自身が心から感じる切り替わりとは、よく記事で書いている「エネルギーの移り変わり・エネルギーの季節感」の方なのですが、ともかく2018年がスタートしましたね。
お正月を過ごしつつ、同時進行で私がエネルギー面で感じていた「今年、これがますます大切になるであろう」ポイントを書きます。
良い意味での分離を認めることが大事
冒頭に書いたように暦の上での「2018年が」という話ではないのですが、昨今のエネルギーを見ていると、人々の意識による「分離」はどんどん加速していると感じています。
集合意識をざっと見渡しても、個人個人の意識によって見ている世界の違い、「分離化」が進んでいるのがわかります。
「分離」という語を、精神世界・スピリチュアルでよく提唱される「ワンネス(ひとつであること)」の反対語のように捉えている方もいるかもしれませんが、ここでお話ししている分離とは、「精神上の独立」や「個人個人の意識が創造者であること」を表します。
どんな未来、どんな世界を創っていきたいか……それがおおまかなブロックに分かれていて、集合的には、各ブロックがもはや「全然似ていない」といったイメージです。
かつてなら、そのブロック同士の行き来がもっとありました。共通点があったのです。
でも、今後はブロック同士の「違い」がますますはっきりしてきて、エネルギー的な分離(「距離」とも表現できます)の大きい別々の並行現実になっていく、ということです。
ときどき講座やセッションでご質問いただくことなので書いておきますが、
このとき、それぞれの並行現実には「各バージョンごとの個人」がいますから、基本的には、あなたから見て「AさんとBさんは私と異なるブロックにいるので、会えなくなった!世界から消えてしまった!」という風にはならないのです。
あなたのフォーカスしている並行現実には、そのバージョンのAさんとBさんがいます。
ただし、あまりに価値観や意識フォーカスが異なる人とは、自然と疎遠になったり、気づくと関わりがなくなっていった、ということは起こり得ます。
あなたの経験する世界は、あなたのエネルギーによって創造されている「現実」だからです。
このような流れの中で、
「私がこう思うんだから、あなたにもこう思ってほしい」
「私が感じた通りのことを、あなたにも認めてほしい」
など、他者に同意を求める考えを持つ人、そこで得られる連帯感を欲し続ける人と、
そういった旧世界の居心地が悪くなって、自分自身の独立したあり方を模索する人、
また、すでにそこから独立している人など、
色々分かれているかもしれません。
私が皆さんにお伝えしたいのは、言うまでもなく、あなた自身が「創造者である」と自覚する生き方です。
どのあり方に惹かれていようが、結局のところ、その基本は変わることがありません。
あなたが、あなた自身の現実の創造者であるということは変えられないのです。
その上でなおかつ、「外に拠り所を求める生き方」をしたいか、
「内にその場所を見つけるか」という話です。
どちらを選んでも、それは同じように「体験」です。
ただ、他者や外をコントロールすることを目標にするのは「見当違いの体験」です。
たとえると、あなたが自分の足を動かしたいのに、手に向かって「足を動かせって言ってるんだ!」と命令したり、「お願いだから聞いて、足を動かしたいの」と懇願したりしたらどうでしょう。足を動かす力も、そのための指示(意図)を出すのもあなた自身の意識によるのに、注意の向け方、力を注ぐ場所も間違えていますよね。
たとえ好きではなくっても、それぞれのあり方に価値があると認めること
あなたがまったく共感できなかったり、全然好きでなかったりする考え、価値観、ライフスタイル等にも、それぞれの存在価値があります。
ですから、どれかが「普遍的に」より優れているとか、 よりスピリチュアルであるとか、より価値が大きいなどと考え出すと、おかしなことになります。
「私にとっては」どうかと考えるならOKです。
「私にとっては、こちらの方がより価値がある」という風に、自分の感じ方を認識することは、必要でもあります。
ジャッジしない、というのは、「普遍的に、絶対的に、○○の方が価値がある」などと事象に対して決めつけないことです。
その一方で、「私にとっては、何が大切なのだろうか」と自問することは大切です。
この違いを混同しないでください。
あなたが好きでないことも、ある人にとっては価値があるのかもしれません。
あなたの気に入らない何かも、それを愛している他者がいるかもしれません。
ここでも、大切なのは「良い意味で、分離・独立すること」です。
「同じであろうとすることをやめ、他者は他者、自分は自分としての個性があることを認めること」です。
それは、「形・スタイルだけ」では意味がないんですよ。
実際の発言でも、内面で思うことでも、他者に対し、
「本当は○○もこうした方がいいと思うけど~、それが○○の好きなことなら仕方ないのねぇ(溜め息)」なんていう態度は、全然相手を認めてもいないし、自分を他者から独立させてもいません(笑)ご注意を。
あと、精神世界・スピリチュアルバージョンとしては、
「スピリチュアルな人ならこうである」という方程式にも気をつけましょう。
その種の考えに自分自身が縛られることも、他者をそのように見ることも、結局は観念につかまっているということに気づきましょう。
自分の意識とダイレクトに繋がるよりも「形」を重視しているということ、そして、その形に沿って外側のあれこれも裁いている、ということを認識するのです。
ストラッグル(あがくこと)から距離を置こう
英語のstruggleという表現を見出しに使いました。
あがくこと、悪戦苦闘すること、努力して闘うことなどの意味です。
このことは、もう「実感できている」方も多いかもしれません。
かつては、ストラッグルの体験を度々していたけど、今はそれがないな……と。
これまで書いてきた内容の通り、あなた自身を「同調する気のない集合意識や他者から分離、独立させる」ことができると、また、「そうしていいんだ」と自身に許可するようになると、「ストラッグル」の体験はなくなります。
もし、時折起こったように感じても、すぐにそこから抜け出てしまうでしょう。
「自分自身でないもの」に合わせることで、葛藤が起こります。
「自分以外のものになる必要性を感じると」苦しみが始まります。
あなたが、あなたのままであるならば、様々なチャレンジは「現状の自分にとっての、新たな局面への挑戦である」と捉えられるだけで、自身のエネルギーから逸れて行うものではないとわかっているので、「ストラッグル」にはなりません。
自分自身と調和したままで新しい局面に立つことができるのです。
その体験は、もがいて、もがいて、「そうしなければ」と苦しむものではありません。
また、葛藤が起こったときにも、それを「外から」眺めることができます。
何と何が自分の中で葛藤しているのかを、観察できるのです。
一方で、葛藤そのものに「なり切ってしまうとき」観察しているあなたが不在になります。
実際には、その観点はあなたの意識内にあるのですが、苦闘と一体になることを選んでしまっているためにわからなくなるのです。
作家であるあなたが、登場人物になり切って、「誰が作品を書いているか」を忘れてしまっている状態ですね。
そんなときにも、「意識して思い出すこと」で作家(創造者)であるあなたに戻ることができます。
登場人物の「悲劇」や「苦闘」に浸り切り、それらになり切ってしまう代わりに。
どんなときでも、胸ときめかせてこの物語を創造しているあなたがいる!
眠っている間に見る様々な夢と同様に、現実(人生)も夢にたとえると、
あなたの「この現実」という夢は、あなたにとって、いい夢ですか?
好きな夢?ワクワクする夢?苦しい夢?早く終わってほしい悪夢!?
どんな夢を見ているときでも、その夢を創っている自分がいます。
物語を紡ぎ出す作家のように、あなたは自身の意識でこの現実を創造しています。
根底にある「あなた」は創造することそのものを楽しんでいます。
その自分自身に戻るなら……
好ましくない夢を、あなた自身が充実感を持つ夢へと変容させることができます。
苦しい夢を、あなたのワクワクする夢へと方向転換することができます。
ただ、そうするには条件があります。
あなたが、自分の現実の創造者は自分であると忘れないこと。
あなたが、この現実を「目覚めたままの夢」、明晰夢にすること。
これが条件です。
自分の意識を使うという姿勢と、実践することを覚えていてください。
力は、使いたい方向へ使ってこそ、その効果が実感できます。
無意識に力を使っている間は、自分が力を持っていることにも、それを使っていることにも、気づいていません。本人には、「ないのと同じ」なのです。
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