第2話です。
(第1話はこちら◆「旅立つ君へ(死のこと)1」)
さて、前回の話、
すでにその前からずっと精神世界の勉強や仕事に従事していた私が、
実際は、そんな風に「死」のことでおびえていたわけです。
一方で私は、生きていく中で自然と、この世界に限定されない体験もしていました。
そのためか、自分が死ぬということへの恐怖は薄かったような気もします。
しかし、私が克服できていなかったこと、
その出来事の前からずっと、心底、おびえていたことは、
自分の方がこの世界に取り残されること…
愛する者たちが、自分を置いて先に旅立ってしまうことだったのです。
別離の恐怖です。
これも結局、死への恐怖であることに変わりありませんでした。
☆☆☆
私は、自分が「再認識」しなければならないものに直面しました。
自分の人生の目的に関わっています。
それが、このブログを始めるときの背後にある、
「テーマ」にもつながっています。
では、もうしばらく、私の個人的な話におつきあいください。
第1話の続きです。
☆☆☆
その時期と前後して、私のごく親しい友人の家族も病にかかっており、
やがて、私とほぼ同い年でありながら亡くなったという知らせも受けました。
病気がわかってから、あっという間の出来事に感じられました。
私はあることについて考えました。
うさぎも、「逝く」準備ができていたことは事実だったと思いますが、
医者にみせれば、「病気」があったのです。
症状がありました。
私はそれを見ていて、何とかしたかったのです。
それは内臓を圧迫するほど大きなしこりで、
私たちが気づいていなかったけど、実はもっと前からあり、
早い段階なら切除できたかもしれない、ということを知らされました。
でも、小さな体の動物のことなので、
いずれにせよ手術したら持ちこたえたかどうかはわからないし、
病気の原因となっているしこりそのものも、
切って開いてみるまでは何だかよくわからない、ということでした。
これは、家族全員一致で、
うちはそういう選択はしない、手術というのは、発見が早かったとしても、
ぴのの体の負担を考えるといずれにせよやらなかっただろう、
という感想を持ちました。
それでも、亡くなるまでの姿を見ていたときには、
「もっと早く気づいてあげられれば…」
という気持ちが何度もよぎりました。
だけど、今ならば思うのです。
私たちは、病気を「敵」だと思い、
病気によって死ぬことを、「敗北」と見なしてしまいがちです。
しかし、人も動物も、この肉体の経験から移行する手段として、
病気を選ぶことはあるのです。
それは、苦しみである必要はないし、
これからの時代、そのように病によって死ぬのではなく、
ただ、肉体を脱ぎ捨てるように、楽に移行する人が増えるでしょう。
とはいえ、病気で亡くなることそれ自体に善悪はありません。
病は敵ではなく、表現のひとつであり、手段なのです。
ともにその経験をさせてもらうことで、
最後まで心と心が向き合うことで、わかることがあります。
☆☆☆
そういえば、ぴのの死後、妹の家に泊まったとき、
私が何となく見たがって、借りてきたDVDがありました。
この映画です。
『私の中のあなた』
ストーリーはなかなか複雑で、また、
見る人に結末がわかってしまうとつまらないので、ここでは書きません。
ただ、映画の中で、死を自覚し、見つめる本人の気持ちと、
なんとか生かそうと必死になる家族たち、周囲の者たち、
その描写が印象的でした。
気になる人はぜひ、見てみてください。
私は、自分の体験から思いました。
人にできることは、ただ死にゆくものに寄り添い、
最後の時間をできるだけ平和に、穏やかに、一緒に過ごすこと、
それだけであることもある。
私にはそれができなかった。
自分の恐怖から、現状からできるだけ目をそらしたかった、
「信じまい」とすることに、力を注いでしまった…。
本当はわかっていたのに。
☆☆☆
死ぬ1週間くらい前、私は夢を見ました。
ぴのがついに、私の手からすべりおちて、
排水口のようなものに吸い込まれていく夢でした。
私は、目覚めてすぐ、ぴののいるケージの前に駆けつけました。
ぴのはまだ、生きていました。
家には私たちだけでした、
私は、追いすがるように、ケージの前でひざをついて泣いてしまいました。
「行かないで」と。
泣きじゃくる私を、ぴのはじっと見ていました。
小さい子を見守る、大人のようなまなざしで。
茶色い、深い瞳で、
無言のまま「仕方ないんだよ」と言ってるみたいに。
この頃、ぴのはもう排泄のコントロールがきかず、
ふいてもふいてもあちこちを汚してしまうので、
元気だったころのように、ケージの外で遊ぶことはありませんでした。
父は、もはやぴのを外に出すことを好みませんでした。
(実家だったので、父と私の動物への接し方のポリシーが違っていたことも、
その頃の私の苦しみでした。
最期なのに、自分の思うようにケアできないことに苛立ちました。
私は、動物にも心があり、色々感じていることを知っていました。
でも父は、本当に植物や動物の世話をよくする人なのですが、
どちらかというと、「心」があることを認めていない感じの世話の仕方なのでした。
清潔にし、食事の世話もちゃんとします、それらの心配りは完璧です。
でも、動物は動物だという無骨な感じです。
しかしながら、のちに私は、
父は父の表現でベストを尽くしていたこと、とてもかわいがっていたこと、
その愛はぴのに、しっかり伝わっていたことを理解しました。)
だけどそのとき、私たちのほかに、家に人はいなかったのです。
私は泣きながら、ぴののケージの扉を開けました、
するとぴのは、その頃はよろけるほどの体力だったのに、
ぴょーんと外へ出て、お気に入りだった和室の、
日当たりのよいところに駆けていったのです。
足の裏の感覚のためでしょう、フローリングの床よりも畳が好きでした。
私は、いくら汚しても大丈夫だよ、好きに過ごしていいよ、私たちふたりだけだから、
と言って、雑巾を持ってそばで見ていました。
(和室は父の部屋だったので。)
ぴのは、そこに落ちていた、
大好きだった観葉植物の枯れ葉をわしゃわしゃと音をたてて食べました。
日なたに行くと、じっとして、気持ち良さそうに目を細めました。
そして、わりとケージに入るのが好きなうさぎだったので、
体力も落ちているし、自然とケージに戻るかなーと思っていたのですが、
ずっと、日の当たる畳の上に座っていたのです。
私は、ああ、この部屋にお別れをしている…と、感じました。
最後の感覚を、この景色を、心に焼き付けて惜しんでいる、
そうはっきり思ったのです。
だから、邪魔せずに、黙って見ていました。
しばらくすると父が外出から帰ってきて、ぴのが部屋に出ているのを見て、
「あっ、やめて!」と叫びました(笑)
次回(3)へ続きます。
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