人生というこのドラマチックなストーリーの中で、
私たちは一見「深刻」な状況にありながら、
思わずふっと力が抜けてしまうコミカルな一面を見つけたり、
ほんわりと心和んでしまうあたたかいユーモアに出会ったりします。
スピリットはウィット好き、そう思わずにはいられません。
私は「愛のギフト」という言葉をよく使いますが、
いつもそれが、どんな状況の中にも発見できるからです。
「死のこと」シリーズで、うさぎのぴのとの死別についてふれたので、
それにまつわる家族のエピソードを紹介します。
◇「死のこと」シリーズはこちら◇
◆「旅立つ君へ(死のこと)1」……4話で完結します。
◆「ぴののこと(おまけ)」
beats-and-love.hatenablog.com☆☆☆
実は、ぴのが亡くなる前日の夜に、父、母、私の3人は、ぴののいるリビングで、
ある話をしていました。
以前から決めていた、サイパンへの海外旅行の話でした。
(そのときの旅行で体験した一部が、◆「植物って宝」という記事に載っています。)
出発日が迫っていましたが、父が、ぴのの様子を見て、
「キャンセルした方がいいのではないか」
と、言い出したのです。
そもそもその旅行は、ずっと実現していなかった、
父への退職祝いとして、母が提案したものでした。
父は飛行機が苦手で、ある時期まで国内線も乗れないくらいだったので、
海外へは一度も行ったことがなかったのです。
ところが、その提案に思いがけず賛成してくれたので、
本人の希望を尊重し、フライトの時間ができるだけ短くてすむように、
海外でも近場のサイパンに行き先が決定しました。
それぞれの仕事のタイミングを見て、日にちも決まり、
その頃ぴのがここまで衰弱するとは思わずに、私たちの旅行中は、
仕事で一緒には来られない妹夫婦にぴのをあずける予定でいたのです。
妹夫婦も、自分たちの家にぴのがお泊りすることを、楽しみにしていました。
でも、この様子では、ぴのが心配なのでキャンセルした方がいい、
と、父が言い出したのでした。
それで、私たちは少しだけもめました、
ケンカや口論ではありませんが、そうはいっても…もう直前だし…
というような迷いのやりとりでした。
それを、ぴのは、じっと聞いていたのです。
そして、はやばやと翌日に亡くなりました、
私はなんだか、ぴのがそれをきいて去る日を決定したような気がしたものです。
そのため、結局私たちは旅行をキャンセルせずに、
父と母と私の3人で、死別から日も浅いうちに出発したのですが、
それは今思い出しても癒しの旅行でした。
家にそのままいたら、きっとみんな、もっと滅入っていたと思います。
旅行は思いがけないほど楽しく、
家族それぞれの意外な魅力も発見できて(特に父について!)、
とてもいい思い出になったのです。
この流れも、ぴのが授けてくれたギフトのように思えてなりません。
☆☆☆
また、ぴのの亡くなった日はなんと、妹の誕生日でした。
何年経っても、家族が忘れようがない日です(笑)
ぴのが亡くなってすぐ、立ち会っていた私と父は落ち着こうとしましたが、
どうやら相当、気が動転していたようです。
息絶えたのを確認して、私が父に「亡くなったよ」と声をかけると、
台所に立っていた父は、
「うそ!」
と、叫び、仰天していました。
その後、なんていうことでしょう(笑)、
私たちは遺体をきれいにふいたり、まわりを片付けた後、
その日出勤していた母や、
結婚して家は出ていますが、やはり出勤していた妹に対し、
亡くなったことを連絡する前に、なぜか、
ぴのの、こんな姿を見せるのはしのびない!
と、思い込んでしまい、
はやばやと2人で庭に埋めてしまおうとしたのです!(おいおい!)
あせってその作業をしようとしていました(笑)
本当に、同じ家族である母や妹の気持ちを度外視していました。
いや、考慮し間違えていました。
父は、
「<妹>ちゃん、誕生日なんだから、知らせたらかわいそうだ」
と言い、私も、
「そうだね、黙っておこう」
なんて相づちを打っていたのです!!わけがわからなくなっていますね(笑)
結局、連絡を受けた母が、
「絶対に私が帰るまで埋めないで!私もぴのちゃんを見たい!」
と、メールしてきたことで、私たちは我に返りました。
そりゃそうだよ、他の家族にお別れさせない気!?
と、自分につっこみを入れ、大変なことをするところだったと、しらふに戻りました。
それで、ようやく妹にも連絡しました。
あやうく、妹はぴのとの最後のお別れができなくなるところでした。
まったく冷や汗ものです。
☆☆☆
そして妹が仕事場から駆けつけたときには、
もう夜だったのですが、
妹はすでに硬直したぴのの姿を見つけ、
私はその体を、濃いピンク色の使い慣れたバスタオルにくるんで、
横たえておいたのですが、
妹はそれを抱えると、幼児の頃と同じ顔で、わーと泣きました。
ところが、妹はぴのの体をさかさまに持っていたのです(笑)
つまり、頭を下に、おしりの方を上に、抱えていたのです(笑)
私は泣いている妹にそっと、
「○○ちゃん、さかさまだよ」と言って、抱え直させてあげました。
妹は一瞬泣きやんで、抱え直すと、
またわーっと、幼児の顔で泣きました。
これは忘れられない、悲しみの中できらりと光る、ユーモラスなシーンです(笑)
妹が、とてもかわいかったです。
その後、4人でぴのの死を悼みながら食事をして、
最後にぴのの体を庭の土に埋めました。
間もなくやってきた春には、
庭の、花咲く木が例年にないほど色鮮やかに満開でした。
☆☆☆
意外だったのは、死別の翌日、父が独断で、
午前中のうちにすっかり、ぴののケージをはじめとする大きな遺品を、
廃棄物のセンターに直接車で持っていって、処分してしまったことです。
よっぽど悲しいのだ、と思いました。
しばらくは、そのケージが置いてあった場所を、家族が見るともなしに、
眺めてしまう癖がなおりませんでした。
☆☆☆
今になって思うのです。
ぴのは、家族の天使でした。
そこにいるだけで癒しの源泉、自動的に、家庭の調停役だったのです。
ぴののことに話題が及ぶと、家族の誰もが笑顔になりました。
笑顔にならずにはいられなかったのです。
みんな、心からぴのを愛していましたし、愛さずにいられない存在だったのです。
食卓で、キッチンで、
誰かが誰かとケンカしそうになると、なんとなく、目線をはずして、
ぴののことを見ました。
家庭の空気がつめたく緊張しそうになるとき、誰かがぴのを見ました。
するとつられて、みんなぴのの方を見ました。
そして、その姿に癒されて気分が和んでしまうのです。
母はもともと動物が苦手で、ぴのが来て間もないころなど、
ケージを掃除する間だけみてて、と頼んでも、
軍手をはめてからでないと、ぴのにふれることができませんでした。
それほどだったのに、数ヶ月もたたないうちに、直接抱っこすることはもちろん、
家の中の「ぴのに許可されるスペース」まで、あっという間に広がってしまいました。
ぴのが家のあちこちをかじったり、むしったりしても、最初は気にしたものの、
「ぴのちゃんはそれがお仕事なんだからしょうがない」と言っていたほどです。
そして、近所をお散歩している犬など、他の動物も苦手ではなくなりました。
すごい変わりようです。
☆☆☆
そんな風に、家族の癒しとなり、和ませ役だったぴのが亡くなったとき、
私は、これはある種の「卒業」だな、と悟ったのです。
つまり、ぴのという天使のような存在がいなくなって、
今度は、私たちが自分たちの力で、同じ平和を実現するのだ、
もうそれができるはずだ、とわかったのです。
実際、その後、ぴののいない実家に住んで、
私は家族とやり残していた様々な側面を見ていくことになりましたが、
今はそれがひと通り、終わったような気がしています。
つまり、家族を心から愛し、そこに平和を見出した、ということです。
自分が、自分の家族を、人間としてとても好きであるということ、
それぞれの存在の尊さ、美点を眺めることができるようになったこと、
この家族に生まれてよかったと、心底思っていることに気づきました。
ああそうか、ずっと本当はそうだったんだ、
こんなにも愛していたんだ、
なのに私は「離れよう、離れよう」と思っていたから、
自分でその気持ちを打ち消していたから、
私はここに戻ってくることになったのかもしれないな、
本当の気持ちを知るために。
もう大丈夫だよ、
ぴのちゃん、ぴのちゃんがいなくても、
みんな仲良くしているよ、
ぴのちゃんが家族みんなを大好きでいてくれたように、
今はみんながお互いにそうだってわかっているよ、
教えてくれてありがとうね、
今は、そう伝えられます。
☆スピリチュアルカウンセリングその他メニュー☆