BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

植物たちの聖なる息吹に癒され、創造性とエネルギーについて考える

なんだかエネルギーが重…全体的に鈍く、だるく、
胃のあたりが詰まった感じ、そしてもうろうとするくらい強烈な眠気もあるし、

ひさびさに「子泣きジジイ」な感じ!?

(※人の背中におぶさり、赤ん坊の泣く声を真似ながら、
どんどんずっしり重くなると言われている妖怪、子泣きジジイ。
その「子泣きジジイ」をまるで背負っているかのようなコンディションのことを、
私はこう呼んでいます!過去記事にも使用例あり。「自分のキャパシティ2」)

beats-and-love.hatenablog.com

動きたくないな。こういうときは、さからわず、心静かに過ごそう!

と、非常に心静か~に過ごしていたのですが、
この状態は晴れず。変わらず。

特に自分の中に聞こえるノイズもないみたい…?

ま、いいけど!
やがてこれも経過するだろうし。
でも、
体がしんどいんだよね~。

と、思っていた食後、
ふと、リビングの一角にある観葉植物コーナーに引かれました。


考えなしに、観葉植物たちにふらっと近寄ると、
亡くなった愛うさぎの
存在にふれたときと同様の聞こえ方で、

ふだん認識している私の心の声よりも一段深いところから、

「好き!好き~!」

って、植物たちから聞こえるんです。


それで、置いてある植物の中でも、うちに長年いるゴムの木と、
オリヅルランのそばに立つと、

惹かれるままに私は、オリヅルランの中に頭をかしげました(笑)


うちの植物は全部父が手入れをしているのですが、
父が育てると「ガーデニング性」は無いものの(笑)、
植物たちが異様に元気に育ちます。

このオリヅルランも例外ではなく、
オリヅルランの葉ってこんなになるっけ??と思うくらい、
勢いよくのびのびと葉っぱが伸びており、元気いっぱい。

そして何より驚いたのが、次々と花を咲かせるんですよね。


皆さん、オリヅルランの花って見たことありますか。
白くて小さい、かわいい花なんですよね。
なんだかちょっと、私の好きなユリの花のミニチュアのような。

透けそうな白い手を伸ばして、
そこに次々と可憐な小さい花を咲かせてるイメージ。


そんなオリヅルランの中にいると、私は、
もうじわーっと。

一瞬で、「聖なる」としかいいようのない感覚に満たされました。


すごいね、植物にこんな風に助けてもらえるなんて…
あなたたちの波長にふれるだけで、
ヴァイブレーションがこんなにも切り替わってしまったね。

湧いてくる幸せが、体中からあふれてくるようでした。
一瞬の浄化。


私は最近、「生命体としての地球」について、よく考えます。
鉱物や植物や動物とのつながりも。

そして、私たちを、人間体験をしている個々のスピリットと見た場合、
この地球と結びつく、調和するということが、非常に大切なのではないかと。


植物たちのおかげで、かなりすっきり軽くなった私は、
今度は歯を磨きながら、自分の中を「観る」ことをしました。

数時間前の瞑想的な状態の中で、気になることがあったんです。

それは、こんな図↓


あ、はじめてパソコンの「ペイント」というソフトを使ってみました。

生まれて初めてマウスで絵を描いた…むずかしいものだね。
ぎこちなさはご容赦ください(笑)

図で描いたのはいいけど、これが何なのか、
文章で説明しなければさっぱりわかりませんね(笑)


ええと、立体で見ると、この形は動物のツノみたいなホーン形で、
黒い部分は「フタ」なんです!

中が空洞だから、チューブみたい…とも言える。

これが自分のおなかのところに見えて、位置的にもそうだし、
フタ以外、色も黄色いから、
「太陽神経叢(第3チャクラと呼ばれているところ)」に、
関係しているのだなと思いました。


ちょうどみぞおちあたりに「詰まり」を感じていたので、

ふーん。この黒いフタを外せばいいのかな…?

と、思ったのですが、外れませんでした。


それで、歯を磨きながら考えていたんです。

あれなんだろう。
チャクラを構成している一部である、チューブ?
それとも、何かのシンボルかな。

どうも太陽神経叢に象徴される「個人の意志」に関係してるっぽい。


ここで、全体(源)の意志と個の意志はひとつということについて、考える私。
神性のあらわれとしての個の確立について、
人間のほんとうの成熟について、その統合性や信頼について…


それから、チャクラのバランスのことを思いました。

上の方のチャクラ(ハートより上、第4、5、6、7)ばかりを、
意識すればいいというものでもなく、
やっぱり、どのチャクラもバランスがとれているというのが大切です。

ハイヤーなチャクラをいくら意識したところで、
下の方のチャクラもバランスよく調和していなければ、
この世界でそれを“現実に生きる”ことができなくなるということです。


そんな考えから、私は自分の第3チャクラについてチェックしました。

改めて説明しますと、このエネルギーセンターは、
自分はどう思うか。自分はどう感じるか。自分を尊ぶ。
そういう、個としてのフィーリングに関係してくるところです。

そんなことをしているうちに、
あの映像(上の図)を心の目で見つつ、

「あ~、これをブログに描いてみようかな。
ウィンドウズに入ってるソフトでも、パソコンで簡単な絵って描けるよね。」

とかなんとか考えていると、ファーン!と、
まるでクラッカーのように、
あの図の黒いフタがとれてしまいました。


中からキラキラしたものが舞い出ていました。
ほんと、パーティーのクラッカーみたい。


「おお、開いた!」と思いながら、まさか…
このホーン形のもの、

私が「パソコンで絵を描こう」というアイディアを思いつくために、
描かずにいられない気持ちになる(笑)、こんな形で、
何度も見せてくれてたんだったりして…

なんて、思ったりもしました。


というのも、私は、
「パソコンで絵を描く」という表現の方に気持ちが向き出したら、

漫画も今はパソコンで描けるんだよね、
ブログにイラストや漫画を載せてる人もいるし…
あれってどういうソフトが必要なのかな?
それがあれば、自分の見ているものもブログで図解できるかな。

等々、なんとなくワクワクし始めて、考えているのも楽しかったんです。


そこから、さらに気づきました。

この第3チャクラに限らず言えることなんですけれども、
「創造性」を発揮しているとき、
クリエイティビティーを制限するのではなく、「表現」する方に使うとき、
エネルギーって自然と通るものなんですよね!

創造性は、誰にでも欠かせない要素なのです。

面白いのは、人それぞれで創造性の発揮の仕方が違っていて、
他の人から見ると「それってすごい!」と思うことでも、
本人は、「こんなのが?どうして?」というくらい、自然にできていたりします。

それは、自分にとってはナチュラルで当たり前なので、
ことさら「創造性」だとは自覚してないこともあるんですね。

そういうとき、実行していく過程で必要な努力があっても、
他の人から見ればそれが「努力」のように見えるだけで、
本人にとっては、知らずと追究してしまう情熱であり、
楽しいことでもあるのです。「遊び」とも言える感覚ですね。

そんな風だから、本人が場合によっては、
それを創造的な活動として正当に評価していないのです。


評価というと、他者からの評価について意識する人は多いけれど、
「自分を認めない」ということができるのは、自分自身だけなんですよね。
そして、それだけが、創造性の流れを阻むことができるんです。


こうしたことに気づくと、私も今回、思い当たるところがありました。


……本日はこんなお話でした。
それでは、皆さま、よい週末をお過ごしください♪


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