◆「自分のキャパシティ1」からのつづきです♪
ところで、人は、心がどんな状態かによって、
色々なエネルギーを表現しています。
自分の「芯(素)」とは異なるヴァイブレーションの、
たくさんのものを「まとって」いるとき、オーラはくすんでいます。
様々な想念を含め、人は色んなものを日常的にくっつけていることがあり、
その状態は私の場合、自然に見たり感じたりしているエネルギーや、
「目」を見ることでわかります。
そして、どんな現象であれ、本人の合意がない現象はないのです。
私自身も、通勤していた頃、
毎日「子泣きジジイを背負っているようなコンディション」になったことがあり、
決して、人のさまざまな状態を評価、批判する気持ちはありません。
むしろ、自分にもあるそういう実体験や、日ごろの観察から、
ここにいくつかのことを書きます。
☆☆☆
まず、どの人もそのコア(核)の部分というのは、汚れません。
そこは一切、無傷であり、消えない光のままです。
ただ、自分を本当の意味で愛していないとき…自分を大切にしていないとき、
外側に、余分なものをくっつけやすいのです。
ちょうど、重い鎧を着ているような状態です。
ランプシェードが汚れてしまっているような状態です。
一見社交的だったり、人に対して親切な人であったとしても、
心がさみしくてさみしくて、私を見て!俺を見て!と願い、
人から好かれたいばかりに、外に対して「ええかっこしい」なのであれば、
色んなものをくっつけています。
「してあげている」という自己犠牲の気持ちもそうです。
人間として「人から評価されているかどうか」、
「いい人と思われているかどうか」よりも、
本人が素直に生きているかどうか、
心の動機は何かということが、エネルギーにはそのまま表れます。
☆☆☆
自分のどこかを嫌っているとき、苦しいとき、
人はそれを「放棄しよう、見たくないので捨ててしまおう」とします。
たとえば、私がよく見た現象で、わりと一般的だと思うのは、
「お酒を飲むことによる乗っ取られ(放棄)」です。
(これは一例で、対象は別にお酒ではなくても、似た現象は起こります。)
この現象を見ていると、
「あ、そこであなたのキャパシティオーバーになるよ」
というところを超えて、本人がどんどんお酒を飲んでいく。
無理もないです、本人は「放棄したくて」飲んでいるからです。
深いところでは、「キャパを超えて自分を失う」ことを望んでいるのです。
そうして、一時的にでも楽になりたいのです。
そうすると、ある瞬間から、その人は「いなくなる」のです。
私の感じ方、見え方ですが、細かく表現するならば、
お酒の酩酊状態によってオーラに穴があいて、
本人は自分をほとんどお留守にしてしまう感じ。
たとえるなら、「運転席」からしりぞいて、
その場所を別のものに譲ってしまうのです。
すると、本人の痛んで抑圧されている一部であると同時に、
そこにひかれ、同じ波長をもつ「データ」が、
中に入り込んで「乗っ取り運転(増幅)します」。
互いに磁石のような働きをするといってもいいでしょう。
そうやって酔っ払い状態でその人は、もともと自分の中に閉じ込めていた、
ある部分を増幅させ、色々と発散しますが、たいてい記憶を失う…。
本人がそのときのことを覚えていない、ということがあります。
これは「合意の上での憑依」と表現してもおかしくないかもしれません。
(繰り返しですが、合意に基づかないものなんて無いわけだけど。)
本人が望んで…それが自分を楽にする道だと思って、そうなっています。
ただ、もしも自分が、あるいは周りの人がそういう体験をしていたとしても、
心配しないでくださいね。それは「表現」にすぎません。
どんな体験も、かならず通過します。
それをやってみたベースの、「強さ」を信頼してください。
表現として、見せてもらったことに感謝して、愛しさから観察してください。
無傷のコア(核)に焦点を合わせてみてください。
☆☆☆
また、「NOと言えない人」というのも、余分なものをまといやすいのです。
自分がいやだと思っていることに、「NO」が言えないのはなぜか。
怖れがあるからですよね。
自分がどう思われるか気になるのかもしれません。
罪悪感があるのかもしれません。
「自分の教えられた正しさ」に基づいて、
役に立たなければならないと信じているのかもしれません。
本当の気持ちを尊重することを、怖れているのです。
◆「上級の優しさ」という記事でふれたことを思い出してください。
これが、実は「ゴム人間」のテーマへとつづきます!(唐突!笑)
次回記事◆「自分のキャパシティ3」
☆スピリチュアルカウンセリング☆