昨日メモっておいた記事は、少し熟成期間が必要そうなので、
まだ寝かせることにして…
実生活の中での話題から、気付いたことをシェアいたします。
11月末あたりから、ぼちぼち話題にしていた髪の話なのですが。
私は、ブログのおかげで、記事を書いた後、
見えてなかった自分の心に、気づくことも多いです。
誰かが読んでくれている、読んでくれていないに関わらず、
他者を想定して、他者に向かって書くことで、
ようやく見えることがある、ということなんです。
「なんとなく…」のつもりでネタにしたり、書いた一文であっても、
「あっ、そうか…!私はこう思っていたんだ」と気がついたり、
アップした後で何かが引っかかって、
「なぜ、私は、ああいう言葉を入れたのか?」
……それについて意識の中で、自問する時間をとってみることで、
ようやく自分が何をしていたか、その意図を自覚できることも多いんです。
たとえば髪の話題にしても、
どれだけ自分を知らないんだろ~と、苦笑したくなりますが、
もはや、私にとって、美容室に行くことは負担
けっこう、苦手なこと だったみたいです!!
それが、旧イメージ
(=昔の、ひんぱんに美容室に行っては、ころころ髪型を変えていた自分)
の印象のまま、アップデイトされていなかったんですね。
思えば、こういう変化も、
スピリチュアルな感性や、自覚が発達した時期とかぶるものがあるので、
一般的な基準より敏感になってしまったのかな、という気もしますが、
そんなことはともかく、誇張なく、
それまで大丈夫だったパーマ液や整髪剤などに、
すごく具合が悪くなるようになってしまったし、
そうやって手を入れて、
色々と髪をいじることが、私は、あまり楽しくなくなってしまいました。
化粧品とかも同様に、負担になりました。
それだけだったら、素直にただ、
そうなった新しい自分の感覚に、従えばいいと思うんです。
でも、どこかで私は、葛藤してしまっていました。
「女性なのに…そういうことに関心がもてなくなるのって、まずいんじゃないか。
容姿の美や、お手入れに、もっと興味を持たないと、ダメなんじゃないか。」
と、思っていたんですよね。
(私の周囲には、女性についてそういう価値観の人が多くいました。)
自分の心地よさを基準にした、自分なりの興味はちゃんとあるけれど、
そうではなく、ここで気にしているのは、他人の目を気にして、だけの話。
世の中に私ひとりだったら、
そういうごちゃごちゃはぜーんぶなくなるわ!ということ(笑)
で、先日は、そういうことに気づかないまま、
なかば自分を押すようにして、美容院へ行ってきたのですが。
髪の手入れとともにすっきりするはずが、心は晴れず。
とても疲れました。_| ̄|○lll
なにせ、さっき書いたようなことを自覚する前だったので、
「直毛の私は、パーマで動きを出した方がよい」という、
以前聞いた美容師さんのおすすめに従い、今回もパーマをかけたのですが、
やはりパーマ液で激しく具合が悪くなり(汗)、
(↑これは毎回、体験すると思い出すのだけど、
ふたたび体験するまで、そこまでだということをすっかり忘れているんです!)
なぜか美容室に入って着席したとたん、
原因不明のセキが出て止まらず、
気を遣ったお店の方から、のど飴をいただいたり(汗)、
(終了して、お店を出てからは、ぴったりおさまりました。)
家に帰ってきて、できあがった髪型を見て、
自分の苦手なポイントや心地よくないところも発見、
美容師さんとうまくコミュニケーションできてなかったんだなぁ……
伝わらなかったんだなぁ……と、知ったり。
私は、たとえば、「もう少し短くしてほしい」と希望を言っても、
相手に強めに反論されると、希望を言い続けることができなくなることがあるんです。
相手はプロなので、私が間違っているかな…みたいな気分になってしまうのもある。
(この髪とともに生活するのは私だから、
自分の感覚を言ってもいいと思うのですが、そのときはくじけます。)
今回は、それでも、
あきらかに「無理!」な点に関しては、しばらくした後に改めて、
「個人の好みなのでお願いします。」
と主張して手を入れてもらったのですけど、
それ以外は主張するのが負担で、やはり黙ってしまいました。
結局、そうなったらそうなったで本当にこだわらない、
平気になれちゃう人間であるならいいのだけど、
私のように、やっぱり気になったり、
後々まで心地よくないことが負担になったりする人は、
自分の心地よさをはっきりと知り、それを実行・実現する練習
が必要だなぁ~と、思うんです。
どちらか、ですよね。
心から、相手がそう言うなら、これでいい!と思えたらそれでOKだし。
思えないなら、最初から自分の主張をはっきり持っておいて、曲げないこと。
(私は、「ダメな結果」を消去法で見るまで、ヴィジョン・意図も曖昧でした。)
人それぞれ、「良いと思うこと」は違いますよね。
同じように言葉を使っていても、
脳内のイメージを見せ合うことでもできなければ、
同一の言語や表現を使っていても、
それぞれまったく違うイメージを描いていることだってある。
外見のイメージひとつにしたって、
「これがいい。好き。」と、他人が思うことと、
本人が、「これが心地いい。好き。」
と、思うことが、違っているときもあります。
たまーに、そういう感覚がぴったりくる人を見つけることもありますが、
それは本当に幸運というか、まれなことで、
基本的には、自分の感覚を説明するスキルは必要だと思いますね。
美容室に関しては、今後、
苦手なら苦手でいいよ、と、
苦手でいることを自分にゆるしてあげようと思いまーす。
★スピリチュアルカウンセリングその他メニュー★