BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

素の髪の心地良さと、長いスパンで物事を見ること

今回は、「素の髪の心地良さと、長いスパンで物事を見ること」です。

もうすぐノーシャンプー生活1年10ヶ月目を終える私は、先日、だいぶ長くなった髪を美容室で少しカットしてもらってきました。

かつては、美容室が苦手だとブログ記事に書いていたこともありましたが、今では自分のライフスタイルと合わせて、余分なことを何もしないと決めているので快適です。
美容室でのカットの際も、セットになっているシャンプーの代わりに、お湯で流してもらうだけにしています。

毛先も、全く傷んでいないと美容師さんからお墨付きをいただきましたが、引き続きロングヘアをきれいに保ちたかったので整えてもらったのです。

今回は、小中学生の頃ぶり!?かもしれない、すかずにパッツンと揃えてもらうカットをオーダーしました。

私のように直毛、黒髪ベースでそうすると、思い浮かぶのは漫画「ときめきトゥナイト」初期の頃の江藤蘭世の髪型です。毛先にまで厚みとエッジのあるストレートロング、あれの前髪がないバージョンに近いです。切ったので、長さはもっともっと短いですが。
子どもの頃の私なら抵抗なく喜んだであろう髪型ですが、途中からは自分でそういうスタイルを選ぶことはなく、好ましいものとも思っていなかったのです。

自分の素の状態、受け入れてる? 

自分のストレートの髪質も、毛量がしっかりとあることも、髪の色が黒いことも、全部あんまり気に入っていなかった頃がありました。

過去記事のどこかに書いたことがあるのですが、ある時期までセルフイメージを間違えていて、ウェーブがかった髪が自分の「素」であると、なんとなく思い込んでいた傾向もありました。
このことは、家族にウェーブが出る髪質の人がいたことや、幼少期に聞かされていた自分の髪のイメージの影響もあったのですが。

それが「縮毛矯正かけてます?」と美容師さんから尋ねられるほどの直毛であると知り、だからパーマもかかりづらかったんだ!とわかったのは、そこまで昔のことではありません。

そして美容室に行く度に、要因の具体的詳細がどうであれ、結局疲れてしまうのが常でしたが、根本的には自分の本来の髪に逆らうことで無理が生じていたのだろうと、今なら思います。
髪の色を変えることや、必ず、すいて毛の量を減らすカットで軽く見せること。
それが自分らしい雰囲気なのだと信じて、動きの出るクセ毛風の髪型を所望すること。

時代の流行もありましたが、私がノーと言えば、サロンの方だって無理に薦めてくることはないのに、自らも「そういう風にした方がいい」と長い間考えていたわけです。

けれども、体やフィーリングが違和感やノーの反応を起こし続けてくれたおかげで、自分本来の髪の良さを見直すことができました。

今では、シンプルに切った日本人形みたいなこの髪を、気に入っています。

シャンプーを使わず、時折自分でヘナをするだけの生活になって以来、髪の毛の負担や違和感が全くなく、髪も自分の延長だという心地良さを味わっています。
手入れも、自分の髪質をそのまま活かした髪型にしていれば、手間いらずで楽に整えられることがわかり、なーんだと、目からウロコでした。

前は、もっとこういう髪質だったら……こういう生え際の形だったら……こんな風におろしていても邪魔にならなかったのに、こんなアレンジもできたのに、などなど、自分の髪に様々な文句をつけていました。

それが、体に負担のない方法を選び、素の髪へ愛情を持つようになった今となっては、
「何が問題だったんだろう?」
「どうして気に入らなかったんだろう?」
と、心底思うのです。

今回記事では私の経験から「髪」を話題にしましたが、これは全てにおいて言えることです。

ひとつの理想の形など存在せず、みんなその人らしさがあって、どんな個性も、どんな姿も素敵なのです。

それを、これがいいはずだ、こんな風にするのが格好いいのだ、と決めることで、そこに近付けようとする無理な流れや「自己否定」が生まれます。

それを見極める判断基準は、自分が心から楽しんでそれを行っているか、否かです。
理想を実現するために前向きに頑張っているように見えても、あなたが本当は楽しめていなかったり、負担と感じていたりするなら、「それは必要ない」とか「別の見方があるよ」と、あなた自身の叡知が教えてくれているのです。

素の髪の心地良さを受け入れたら浸透してきた、魂の中にある「別の人生データ」からのメッセージ

一体いつ以来か、という素朴に揃えた長髪を眺めていたら、自分の魂に含まれているある時代のエッセンスと共鳴しました。

人によってはそれを過去世と呼ぶことがありますが、その表現は正確とは言えません。
ここでは、ひとりひとりの魂の中には様々な人生データが含まれていて、必要なときに、特定のデータに共鳴するのだ、と理解してください。

私は昔から、鏡の中の自分を見ていると、自然と特定の人生の別な人物を思い出す(共鳴する、リンクする)ことがあります。
それは現在の個人の「この私」ではありません。
別の時代、別の文化の人間で、性別が違うことももちろんあります。

現在の自分とはまた別に、その人物の個性や人生が感じられます。

同様のことが自分以外の人に対しても起こりますので、それが各セッションメニューにも活きています。
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ガイドさんの絵とメッセージ 

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自分に対しては、髪型が変わるとき、その現象が顕著に起こることが度々ありました。
髪型や服装をきっかけに、二重映しのように、近い姿の別の人生・人物のエネルギーが浮かび上がるのです。
それは視覚の印象というより、エネルギー的に捉えているものなのですが、外見の変化も引き金にはなるのです。

今回は、日本的な髪型の感覚を通して、日本の歴史上のとある時代の空気と、そこで生きていた女性と繋がりました。
それはこれまでも、「ああ、この時代のこの人と繋がっているなぁ」とわかっていた人物です。

あなたも、特定の時代や文化に惹かれたり、妙に入り込んで共感する経験をしたりということがあるでしょう。
そういう場合、それを生きている「別の自分」が、あなたの魂にエッセンスとして含まれているんですよ。

このことを別の言い方で表現すると、過去の出来事を思い出しているのではなく、
「現在のあなた」に役立つ何かがあるので、「今」あなたがエネルギー的に共鳴し、その特定のエッセンスと繋がっているのだと説明することができます。

私が今回そのような経緯で、ある時代の日本文化や人物を通して受け取ったメッセージは、
「長いスパンで物事を見ること」
でした。 

この人生きりの、自分ひとりの寿命という枠に限定されない視野を持ち、
後世や別の自己にも繋がる、長いスパンで物事を考えること。
短いスパンで判断しないこと。

それは常に私の心にあるようでいて、果たして現代の価値観や目先の状況につられず、そうした視点が持ち続けられているのかということを、改めて確認する機会になりました。

さらに、このメッセージを思い出させてくれる要因、自分の素の状態に沿った結果として引き金になった髪型を、かつては好きになれず避けていたということは、その頃の自分には、そこから受け取るエッセンスやメッセージと向き合う準備ができていなかったのだろう、ということにも思いを馳せました。
言い換えると、素の自分の持っている「こう生きたい」という望みを、その頃はまだ真正面から受け止められる自分ではなかったということです。

あなたの心のあり方が変わると、惹かれるものや好みも変わります。
素のあなたに沿うのか、そこから遠ざかるのかという違いもあります。

どなたかの心にも、ベルが鳴る部分があれば幸いです。


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