BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

暗い情報に釘付けになる時、何が起きてる?

グッド・イブニング☆

こちらは今日は、朝の雨があがって晴れの1日…

外も春らしく、ぽかぽかになってきましたね~。

そんな中、妹からメールが。

「またイスラム国のニュースのときと同じ間違いを犯してしまった…つらい… 」


ははーん、とピンときたのですが一応くわしく尋ねてみると、

「ひどい事件があって見ないようにしてたのに、

ネット上のトピックに煽られて、見てしまったら気になって…

毎日(そのニュースが)報道されてるから毎日チェックして、

1日の気分が下がるほどに影響されてる。」

と。妹の状態は、このときと一緒なのでした。↓

「夢見と共鳴」

「辛い事件が起こったときに、できること」

この2つの記事も、妹との話がきっかけで書いたのでしたが…。


私もそういう体験をしたことはありますし、

意識・心の観点からアドバイスできることもあるのですが、

それなら記事にして説明しようと思い、妹にも許可を得て書いてます(笑)


今回の妹個人のケースに限らず…

皆さんもこんなご経験、ありませんか?


◇暗いニュース、怖いニュースに抗えない感じで入り込んでしまう。

(引き寄せられるように、ますます詳しい情報を求めてしまう。)

◇インターネット上の掲示板など、誹謗中傷や悪口の多い情報を、

どこかで「いやだな」と感じつつも、延々と見続けて疲れてしまう。

◇残虐なシーン、気持ちの暗くなる情報・作品等をあえて見てしまい、

案の定、気分が落ちる。


…これは一例ですが、要するに、「喜んで」という風でもないのに、

特定の情報にずぶずぶとはまってしまうときってありませんか?

ということです。


別に、ニュースを見てはいけない、掲示板を見てはいけない、

という話ではありません。

世の中の「暗いと感じる部分」を、見ぬふりしろという話でもありません。


ここでお話ししたいことは、いずれのケースも、

たとえ「報道が過熱し」、「一面に情報が出ていて」ということであっても、

情報を選んで見ているのは自分だ

ということなのです。


電車の中のトレインチャンネルでね…

新聞・テレビでね…

インターネットの目につく場所でね…

情報が開示されているからといって、やはり、

それを「わざわざ詳しく(注意して)見るかどうか」は、自分の選択です。

もちろん、

「どんな情報も、情報は情報にすぎない。中立に見ればよい。」

という事もありますが、これは言うのは簡単ですが現実にはどうでしょうか?


毎日毎日、わざわざ「見たくない」情報を見続けていたならば!

気も滅入るでしょうし、ある意味、自分への立派な虐待です(笑)

なんでわざわざ、そんなことをする必要がありますか?


そう、ここで気づくべきなのは、ひたすらに

自分が選択しているということ

に気づくこと、なのです。


もし、それがあなたにとって気を滅入らせる情報ならば、

暗くなったり怖くなったりする内容ならば、

なぜ、それをあえて見るのでしょうか。


この中にこそ、答えがあります。


そうです。あなたは自らそれを求めているのです。

自分が、それに引かれているのです。


「理由」はさまざまでしょう。


ただ単に、あなたの意識が先に、

「暗い気持ちになる要素」を日常の中で持っていたのかもしれません。

それを「外に見る」という形で

暗い情報(同種のムードの情報)に引かれているかもしれません。

あるいは、

その特定のトピックの中に、あなたがこれからチャレンジしたい、

「本質的テーマ」が含まれているのかもしれません。

その出来事をきっかけに学びたいことがあるのかもしれません。

または、

その情報に共鳴する「共通要素」を自分の内側に持っていて、

そこをクリアーにしたい思いで、外の情報を手がかりに使っているかもしれません。


いずれにしても、外の情報が「因」ではないのです。

あなたの経験する現実は、あなたの世界なのです。


たくさんの情報があなたの現実の中を通り抜けていくけれど、

あえてあなたが「足止めさせた」情報は、あなたが注意を向けている情報です。


ですから、以下のことを思い出すことができます。

①情報の選択者は「私」である。

私が望まないのなら、私はそれを手放すことができる。

(これを認識するだけでたいていのことは解決します。)


②特定の情報に強く引かれるなら、引かれている要因を認識すること。

どんな経験が自分に必要なのか。「外」に責任は、ないと知ること。

…何のもめごともない世界、

心安らぐニュースだけが報道される世界になるのをただ待つなら、

たぶん一生を費やしてしまいます。

☆☆☆

ところで、こういった場合に「祈りの力」を提唱する人たちもいます。

辛い出来事、癒しの必要な出来事が起こるたびに、祈ろうと。

イベントにして、集団で一緒に祈るというやり方をとる人たちもいますね。


私は、これからご説明する認識のもとに、

この方法からはあえて距離を置いています。

というのも、

祈る前に、「それをどう見るか」という心の姿勢が関わってくるからです。


「かわいそう…」

「ひどい状態…癒しが必要…」

という視点からは、すでにそこに「何かが欠けている」と見ているので、

「傷ついているものを、手当てする」意図の下にある行為になります。

一定の効力はあるかもしれませんが、根本解決にはなりません。

症状・「あらわれ(結果の方)」にフォーカスが向かっているからです。


意識の力を活用したいなら、根本にある「因」を見ることです。


(※次回イベント4/11「セルフヒーリング講座」では、このトピックも扱います。

明日の記事で詳細をお知らせします!)


それから…世界中の問題を背負おうとしないでくださいね。

私たちは、何か「ダメなものを直す」ために生まれてきたのではありません。

(心からそう信じているのなら、それをしてもかまわないのですが…。)


たった今も、愛やよろこび、ほほえみの要因も世界にはありますよね。

「地上が天国になったら」、ようやくそれらが出現するわけではありません。


すべては、折り重なって今、同時に存在しているのです。


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