今回の話題は、「地球のためにできること」。
とはいえ、過去記事にも書いたことがあるように、
エコ活動などで目にする「地球にやさしく…」という発想とは、
私の考えは違っています。
星(生命体)としての地球そのものは、力強く、
人間にやさしくしてもらう…?
という発想にどうしても違和感をおぼえてしまいます。
むしろ地球そのものや自然界が、人間を「ふさわしくない存在」と見なしたら、
(もしそういうことがあればですが、)人間の方が滅びることになるでしょう。
その意味では、私たちの方こそ地球にやさしくしてもらっていて、
自然界の一員として「住まわせてもらっている」のです。
さて、今回の記事をご覧くださっている方の中には、
私は地球のために何ができるだろう…?
と、漠然とでも考え続けていた方がいらっしゃるでしょう。
ところが、具体的な行動として、私は何もできていない…と、
ご自身を低評価している方もいらっしゃるのではないかと思うのです。
たとえばですが、
自給自足の生活をしたり、何らかの環境保護の活動をするなど、
はたから見ても「自然界や環境と関わっている!」と言える活動をしていれば、
自分も地球の役に立っていると思えるのになぁ、と考えるかもしれません。
そして、そういった活動をすでにされている方々を見て、
内心とても尊敬し、賛辞の気持ちを送っています。
もちろん、
それらの活動やライフスタイルがあなたの本心から望むものであるならば、
実現に向かって、たとえ小さな一歩でも踏み出すことをおすすめします。
その一方で、そうはいっても、
あなたの望みや心惹かれるものが実はそれらの「形」には向かわないなら、
あなた自身の感覚をそのまま受け入れてください。
万人が同じことをすればいい、というわけではないからです。
あなたには、あなたの本当にやりたいことや心惹かれることがあり、
それによって地球に貢献することができます。
たとえば私は、昔から自然とふれあうこと…植物や動物なども好きですが、
自分で何かを栽培したいとか、自然と関わる何かに従事したいとか、
そういう気持ちは今のところはありません。
そんな自分を観察していて、比較的最近わかったことなのですが、
私は基本的にはそのままあるものを観察する、というのが好きなようです。
人の手のかかった植物の見事さや、
飼われている動物のかわいさ、存在の素晴らしさにも驚嘆しますが、
そこらに生えている植物や(“雑草”と呼ばれていたとしても)、
町中でも気軽に見られる野鳥たちといった、
人間に管理されていない自然のことも、同じように好きなのです。
その意味では、私は傍観者です。
自分の中に、「地球とは、美しいなぁ…」とか、
「おお…地球の動物…」とか、つねづね感動している、
宇宙人あるいは体のない意識存在のパーセンテージが高くて、
毎日見かけるなにげない風景であっても、
地球という環境そのものが珍しく、宝物のように思える…
ということを自覚しています。
それらを学者のように詳しく解剖して研究したい、という意欲はあまりなくて、
このように美しい地球という星の存在にただ感謝し、愛でている、
といった様子です。
ただ、もちろんそう感じているからには、
地球の貴重な資源(それは自然界そのものです)が滅びたり、
無残な形に姿を変えたりしていくことには、胸を痛めます。
そのとき私の心に浮かぶのは、「人間」なのです。
いかに物理的に環境を整えても、
人間のエネルギーが傷んでいて「毒」のようになっていたら、
それはこの現実に、人間の生活する星の環境に反映されてしまうのです。
人の心と環境は「別々のもの」ではありません。
たとえばエコ活動や自然派の思想に熱心にいそしんでいる人がいたとして、
もし、その人の心の中が、不平不満や批判や、
自分たちと同じようにしない人たちへの攻撃の気持ちであふれているなら、
その人はエネルギーレベルでは、毒をまいているのです。
私たちの普段の常識からすると少し厳しいお話かもしれませんが、
ある人の「行動」が、いかに尊敬に値するものでも、
「心の状態」は、実はそれ以上に大切です。
ですから私は、私のできることとして、自分自身をはじめとし、
「人」の心の状態をウォッチングしています。
そこに働きかけたいと願っています。
こうしてブログを書くことで、その内容がたとえ、
読んでくださった1万人の人の心に何も起こさずスルーされていったとしても、
1人でも、「この記事は今の私にぴったりだ!」と、
その人の心がほどける何か、和らぐ何か、
「元の状態」を思い出し発見する何かになったなら、
私のしていることは「大成功」だと言えます!
あなたが地球の役に立つためには、
あなたがあなたに戻るだけで十分なのです。
人は、「自分自身」からズレているとき、幸せを感じられません。
「自分であること」から離れれば離れるほど、心がガサガサになり、
さみしい、空虚な気持ちになってしまいます。
すると他者にも厳しくなり、世界には不満を持ち、
地球という経験そのものを愛せなくなってしまいます。
でも、それは「外界」がいけないのではなくて、
あなたがあなた自身に対して「要らない何か」を着せているから、
合わない観念に従わなければならないと信じてしまって、
そのままの自分を愛せなくなっているから、起こることなのです。
観念はただの観念であり、あなたを苦しめる観念は、
あなたが力を与えない限り、意味を持ちません。
自分で選べることに気づいていいのです。
どんな人にも、優しい気持ち、この世界という経験を愛する気持ちがあります。
それは「外から植え付けたり、教育する必要があるものではありません」。
それぞれが自分らしくあるだけで元々備わっているものです。
あなたが、あなたであるだけで、自然と湧いてくるものなのです。
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