この数日間、深いところで何かを待っているような気がしていたのですが、今朝、思いがけずクリアーになりました!
その内容が、今回の話題となる「ルシファーのエネルギーを見直す」です。
「再接続」という言葉にしてもいいかなと思ったのですが、本当はその接続が「一度も途切れたことはなかった」というのが真相なので、「見直す」という言葉にしておきます。
ルシファー、ルシフェル、その呼び方は色々ありますが、多くの方が知識としてご存知の天使でしょう。
残念ながら、人間の思い描く「悪魔」と同一視されていることもあります。
ずいぶん昔の記事ですが、私は過去に、これまた予想外にルシフェルと繋がったときの様子を描写したことがありました。
◆「エクスカリバー」(2012年1月14日の記事)
記事内でふれている「エクスカリバー」については、当時の私にとっての象徴的な意味があったのだろうと思いますが、結局あれから関心を失い、うやむやに終わりました。
今回フォーカスしたいのはそこではなくて、記事内での「ルシフェル」の描写についてです。
私はこの過去記事を特に思い出すことはなかったのですが、つい先日、夢の中に出てきた天使についての記事を書いた後、しばらくして、「2度目に出てきた方の天使は、ルシファーなのでは」ということに気づきました。なぜなら、夢の中で本人が名乗った名前が、ルシファーの別名とも考えられている名であることに思い至ったからです。
前回の、その記事◆「私は天使を否定できない。」
それからのことでした、かつてルシファーを認識したときとの姿の一致に気づいたのは。
前回の記事で、私は2度目に現れた天使について、調べれば出てくる名前だけれど有名というほどではないこと、そしてそのイメージは「白」ということをお話ししました。
実は、伝わってきた名は「サマエル(あるいはサムエル)」という音だったのです。
★サマエル(ウィキペディア)
そして、先にご紹介した過去記事後半の内容と照らし合わせてほしいのですが……
私が以前ルシファーを認識したとき、そのイメージを「アイボリー」の色で表現しました。
今回、サマエルを認識したときも、何色とも言い難い、やや金色がかった白のイメージを描写しています。
こんな風に書くこともまだるっこしいほど、実は私の中では同一存在であることがその姿からはっきりとわかるのですが、絵にしてでも描かない限り、読んでくださっている方とイメージを共有できないので、もう少し明らかにできる説明を続けましょう。
かつての記事の中では、昔読んだダスカロスの本で、「シャマエル」がルシファーの投影であることが書かれていた旨を述べました。↓
『私も以前読んだことのあった「ダスカロス」の本に、
「地」の担当として、シャマエル(チャミュエルとも言う)が示されているそうで、
シャマエルは本当は大天使ではないが、
ルシファーが投影している天使、と書いてありました(!!)』
… 実は、シャマエル、カマエル、チャミュエルの呼び名は、同じ天使を指すと言われており、その名は「サマエル」とも同じではないかという説もあって曖昧です。
私自身の認識だと、「チャミュエル」と呼ばれている天使と、「サマエル」は少し異なるようにも思え、ダスカロスの言及したルシファーの投影である天使「シャマエル」は、私が認識するところの「サマエル」なのではと、今回思いました。
ダスカロスの見方は確かめようがありませんが(私が過去に読んだことのある5冊の彼の本の中では、それについて述べられていませんでした。→後日判明した内容を書いた記事があります。☆こちら☆)、私自身の認識では、私が以前知覚した「ルシフェル(ルシファー)」と、今回出会った「サマエル」は同じ存在です。
ただ、突如として、またルシファーと邂逅するとは思いも寄らず…
「なぜルシファーがこのタイミングで現れたのだろう」と、不思議でした。
とはいえ深追いする気持ちもなかったのですが、私の自覚できている以上の意識では、物事がしっかり進行していたようです。
私の表層でもそれを感じており、何かがクリアーになるのを待っているような心持ちがあったのです。
そんな中での、今朝のことでした。
早くに目が覚めて、私はパソコンに向かって気の向くままに、なぜかこれまで見たことのないサイトを見ていました。知り合いの知り合い、という縁の人が関わっている情報だったりと、偶然も重なって、自分の興味に沿って内容を辿っていくうちに、(海外の人なので)英語で書かれたある歴史上の人物についての描写に行き当たったのです。
それについて読んでいると、ルシファーが現れて、パソコンに向かう私の背後から腰をかがめて一緒にスクリーンを覗き、私の両肩に手を置いて、ほほえんでいるのです。
※こういうときには心眼で見えます。以前も書いたことがありますが、大天使を見るとき、その姿は私の知覚では人間よりもずっと大きく見えます。身長2、3メートルとか、部屋の天井いっぱいにつくくらい。エネルギーの大きさを視覚化しているためなのか、と考えたりもしています。私の知覚による“翻訳”ということになるでしょうから。
ルシファーの外見は、かつて、そしてこの間、認識したのと同じ姿で私には見えます。
すなわち、やや金・アイボリーがかったあの白い髪に、白い姿。
その歴史上の人物の詳細についてはここでは省略します。それを主題に論じたいわけではないからです。
一般的には負のイメージがつきまとう人物である一方、傑出した人物ということも認められており、私が今回読んだのは、霊的な観点から見るとその者の持つエネルギー自体は実は天使的であったという内容でした。
その人物については以前から私も思うところがあり、今回述べられていた見解の一部は自分の考えと近かったのですが※、それよりもこれを読むのをきっかけにルシファーが現れたことの方に驚きました。
(※私自身の見方を補足しておくと、その人物が一見「負」の要素を歴史にもたらしたのは、必ずそうなると定まっていた運命というわけではなく、その人自身の内にある恐れを外に投影して選択し続けた結果と、その時代の集合的な観念の表面化との両方が合わさったものです。しかしそういった現実の経験もまた、世界に“ポジティブに”活かされ得るのです。)
ルシファーが私に示してくれたのはこういうことでした。
言葉のメッセージではないので、私の受け取ったエネルギーの言語化になりますが。
「必要な役割を担うことに躊躇はない。人間の思う善悪の観念を超えている。」
そしてルシファーはうれしそうに、「再接続」を祝うようなエネルギーを放っているのです。
2012年1月の過去記事の時点では、ルシファーはまだ、「待っていました」。
今回は、ルシファーは「表に出ています」。
誤解が解ける。人々の意識が、新しいレベルに到達する。
そのことを示しているように、私には思えてなりません。
「悪魔」というのは、人間が作った幻影です。
自らの恐れを、そういった「外の」存在がいるとして、投影しました。
人間の描く世界観の中で、ルシファーは、これでもかというほど歪められた天使です。
しかし、人間のそういった「観念上の誤解」が、この冒険をまさにこのような形に成り立たせ、一通りの経験を創りました。
今では、ルシファーはもはや、誤解される必要がありません。
他の大天使同様、そのままのエネルギーで受け止められる時期なのです。
天使がいるなら、堕天使もいるだろう。人間はそう考え、そういった世界観を作りました。
二極の観念の中にいる以上、善を認めるには悪が必要になります。
天を肯定するなら地を否定する、という見方も生まれます。
また、たとえば、
自分を男と捉えたら、女はあちら側に。
自分を女と捉えたら、男はあちら側にある、というように分けます。
すべてをひっくるめて許容する愛、見守る愛の存在を、私たちはすでに思い出し、そうと認めるときなのでしょうね。
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