BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

常に入ってきている様々なメッセージ~異星のルーツも時間もあなたの中に~

私は夢で、様々な時代、様々なルーツからの、多彩な情報を受け取ります。

「夢を覚えていない」という人を含むすべての人が夢でそうしているので、私の場合はただ自覚しているというだけです。

そうして受け取った情報を「一体どこから来たのか?」識別したいときがあります。

雑音をなくせばなくすほど、わかりやすくなるメッセージ

たとえば、今朝ははっきりと、ある民族の「歌」を受け取りました。
若くはなさそうな女性の穏やかな歌声として聞こえてきて、私は起床時までその歌を覚えていられるように、夢と夢の合間に何度も意識的に想起して「持ち帰りました」。

夢で歌や言葉、音楽、イメージを受け取ったとき、そうした情報が自分の現在の生活や、人生の状況の何かを表す「象徴」であるとわかることもあれば、
関連性があまり見えず、どこから来たメッセージなのかと疑問が湧くこともあります。

後者の場合、もし、漫然とテレビや新聞、ネットなどのメディアを利用することが習慣になっていると、「自覚なしに」それらのどこかから取り込んだ情報の影響を考慮する必要があります。
けれども、そうした行為を自分が起きている間の習慣にしていないなら、出どころはメディアではないとわかります。
少なくとも、自覚を持って(本心に沿った)特定の情報をチェックする程度であれば、いつ何を見たかを明確に思い出しやすいですね。
これは、★前回★を含め、最近の記事で書いた通りです。

ノイズを静めれば静めるほど、あなたへ常に流れてきている非物質次元からの「メッセージ」は受け取りやすくなります。
こんな状況を想像してください。
電話をかけたら、相手側が騒々しい音をひっきりなしに大ボリュウムで鳴らしていて、ちっとも会話にならない……通信自体に問題はないけど、声がかき消されてしまう。
本当に会話がしたいなら、「周りの音のボリュウム下げてくれる?」と言いたくなりますよね。
あなたの内側でもそれと同じことが起こります。

つまり、非物質次元からのコンタクトが止むことはない、ということです。
「繋ぐ」ための努力は要りません。
常に繋がっているからです、すでに。

必要なのは、あなたの「本当に聴く意思」それだけです。

あなたの家族である、異星の存在たち 

非物質的な存在を含む「異星の存在」と、ひとくくりに呼んでしまうと無数の存在がありますが、地球人体験真っ只中の私たちと密に交流している存在たちと言うと、限定されます。

そうした異星の存在たちは、地球人の「家族」と呼べるほど近い間柄であることが多いです。
古代の地球人の先祖であったり、途中で加わったファミリーであったりします。
(そして、時は同時発生的なので、それは「今も」起こり続けています。)

歌を辿って繋がった先は

私が今回受け取った「歌」に関しては、そうした異星の存在のことをみじんも考えていなかったのですが、調べていくとどうもそこに繋がることがわかりました。

歌の印象は、のどかで心安らぐ調べで、民謡や、何かの作業をしながら歌う素朴な歌や、伝承歌に似ていました。そして、日本という国にまとめられながらも別のルーツを持つ民族の歌であると感じました。たとえばアイヌなど。

私に心当たりはまったくなく、夢の脈絡にわかりやすいヒントもなく、けれどもはっきり聞こえてきた歌ということで、気になりました。

起きた後に、歌の全部を正確に持ち帰れているかどうかは定かでなかったので(起きてこちらの日常に戻ると、たちまち曖昧になりがちです)、確信が持てる語を中心に検索し、該当するものがあるか調べてみました。

すると、こちらに関連がありそうだとわかりました。

古宇利島の紹介があった沖縄観光情報の「たびらい」サイト
「沖縄のアダムとイブが暮らしていた伝説の浜」

www.tabirai.net

現在は日本ですが違うルーツを持つ民族という印象は、沖縄を示していたのかと納得しました。

天からやって来た祖先

私は古宇利島を訪れたことはないものの、すぐに思い出したのは2017年の旅行です。「旅の裏目的は宇宙文明~後からわかったより大きな動機(古代文明、異星人、沖縄旅行)~」

beats-and-love.hatenablog.com

詳しくは記事をご覧いただきたいのですが、このときの旅行の主目的は、当時福岡に住んでいた友人に会いに行くことでした。
ところが流れで、初めての沖縄も訪れる計画になり、あまり力まず適当に沖縄での滞在先などを決めたものです。

その頃、友人が仕事で度々沖縄を訪れていて好きになったということで、沖縄行きも勧めてくれたのでしたが、同行はしないはずが、旅行中たまたま友人の出張スケジュールが重なって、福岡で一度別れた後、沖縄で再び落ち合うことができました。
記事に書いた浜比嘉島の体験は、友人が仕事の合間の数時間を割いて、観光に連れて行ってくれなければあり得なかった体験です。
友人が「どうしても、ここに連れて行ってあげたい!」と言って、アマミチューの墓と、シルミチュー霊場へ案内してくれたのでした。

ついでに言うと福岡では、やはり何も行き先を決めていなかったのですが、当日に急に太宰府!と浮かび、このとき初めて行って、とても印象深いひとときを過ごしていました。
(詳しいエピソードは、★こちらの記事★にあります。)
今年になって、令和の年号が決定したとき、ゆかりの地として太宰府が盛り上がったと聞いて、そのことを思い出しました。

旅の直後に、友人は急な転勤が決まって近畿地方在住になり、
あのタイミングでなぜかふと思い立って友人を訪ねると決めたことや、
それによって次々連なって一人では行かなそうな場所への訪問が実現したことは、後々不思議に思えた体験でした。

そして1年半以上経った今回は、夢と夢の合間に聞こえてきた「歌」が、沖縄の地に降り立った「祖先」との関わりを、ふたたび思い出させてくれているようなのです。

古宇利島についての神話の情報を読んだとき、なるほどなぁと思いました。

「人類発祥の神話が伝えられる古宇利島」沖縄の歴史文化深堀り研究

www.okilog.net

古宇利島に伝わる人類発祥神話、「沖縄版アダムとイヴ」の言い伝えを、上記リンク先のページではこのように説明されています。
(以下は、上記リンク先「沖縄の歴史文化深堀り研究」サイト様からの引用です。)
『伝承によるとその昔、古宇利島に天から2人の男女が降りてきたという。
彼らは毎日天から降ってくる餅を食べて幸せに暮らしていたが、しかし餅が降ってこなくなったらどうしようと考えはじめ、毎日少しずつ餅を食べ残すことにしたのだ。
少しずつ餅を蓄えるようになると天から餅が降らなくなり、月に餅を降らせてもらうようにお願いをしたものの、餅が降ってくることはなかった。
そこで二人は場所を変え、今度は海辺へ行きそこで生活をすることとした。
海では魚や貝を獲って生活をしたが、その大変さを学んでいったという。
そしてここで生活をしていくうちに2人の子孫が増えていき、これは琉球人の先祖となったという神話である。』(引用終わり)

同じ神話は、古宇利島にまつわる色々なサイトで言及されています。
「古宇利島は人類発祥の地」古宇利島ロテルズ

kourijima-lhotels.com

こちらでは、神話にまつわる儀式の模様を読むことができます。
「2007年古宇利島のウンジャミおよび長者の大主」慶應義塾大学アジア基層文化研究会
http://web.flet.keio.ac.jp/~shnomura/kouri/choujya.html

私の聞いた歌はこの儀式で歌われる歌とは違うもので、その一節には波や「シラサ」という言葉が出てきていました。
シラサという語を私は全く知らなかったのですが、海にまつわる歌だということだけは伝わっていたのです。

そして、シラサ岬とは古宇利島のこちらなのですが、
(以下は、シラサ岬の写真の載っているサイトです。)

「シラサ岬(古宇利島)」島の散歩

shimanosanpo.com

アマミキヨじゃない人類の始まり」がじゅまるの樹の下で。

blog.goo.ne.jp

儀式にはシラサに移動して行う船漕ぎ所作があり、これは「神送り」の所作であると、先に紹介した「2007年古宇利島のウンジャミおよび長者の大主」のページの中で述べられています。
それは神話の伝承の一部で、神々は安住の地に帰っていったのだろうと説明がありますが。

私から見ると、それは天からやってきた祖先(人類の祖である異星人)のお話ですね。

世界各地の伝承、神話、歴史に登場する異星人のことは、過去記事で書いたので省略します。

神(異星人)の側から見た視点 

私が今回受け取った歌は、どちらかというと、神(創世神話で言う、天から降り立った存在で、人間の祖先である異星人)の視点から、地球を懐かしむ歌のように聞こえました。
もし後の、神(異星人)だった頃の記憶を忘れた人間たちが語り継いで歌ったとしても、その心を子孫に手渡すかのように、自分たちの視点を忘れないよう伝えるために歌った歌だという気がしたのです。

地球の、海の美しい景色とともにある「愛しいゆかりの地」の情景が、音と一緒に自然と浮かび上がってくる、のどかで心がゆったりする歌でした。

そして、古宇利島の神話を知って思ったのは、やはりここでも、
不足を心配するようになったとき(不足・欠乏の概念を信じて「リアル」にし始めたとき) 、人間になった
ということが認識されているのだなということでした。

私たちが真の自己そのものであるとき、不足や欠乏の概念は持てません。
真の自己を忘れて初めて、多くの人々が当たり前に思っているような現状の世界が体験できるのですね。

それでも、その体験は実は、あなた全体の経験のほんの「一部」に過ぎません。
地球にいる夢。その中で生きているんだという夢。
そこでは分離がリアルで、個々は別々で、孤立しているという夢。

その夢だけに没頭し同一化していると、あなたにささやきかけている他の音が聞こえません。

あなたが受け入れるなら、異星のルーツも、様々な時間も、どこかよそへ去っていったわけではなく、あなたの中に「今」あるのです。


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