BEATS AND LOVE

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「らしさ」とは何か~部分からWHOLE(全体)へ~

3日、日曜日は「集合意識から抜ける」講座でした。
お越しくださった皆さま、どうもありがとうございました!
その模様はまた、後日記事にします。

今回のお話は「『らしさ』とは何か~部分からWHOLE(全体)へ~」です。
講座に出席された方は、課題をシェアしながら実践的に学んだ「観念」の話も思い出して、記事を読んでくださいね。

個性って素晴らしい。でもそれ、制限になってるかもよ。

私はずっと、人それぞれの個性というものがとても好きでした。
それは見方によっては欠点や短所と呼ばれることがあるものを含みますが、それぞれの持つ独自のバランスの美しさ、面白さというものに惹かれていたのです。

私たち人間は、ある視点から見れば誰もが不完全で、そのあるがままの不完全さが愛しいと。
ひとりひとり、違う個性と個性の組み合わせが作っていくハーモニーは、異なる色の光が新しい色彩の輝きを作るような楽しさがありました。

けれども、そうした感覚に最近、変化が起こり始め、
自身の内側から「そのもっと先」に行くよう強く促されていることに気がつきました。

その流れを追っていくと、
個性を愛しみ、そこに目を注ぐことが制限になっているのではないか
と、思い至ったのです。

制限は、まずそれを持っている人(自分)に対して働き、心の内側にあるものが外へ投影される結果として、世界や他者に適用されます。

自己をどう見るか 

たとえばあなたが、「私はこういう人間である」と思うとき、あなたはそれになります。
あなたは本当は「すべて」なのですが、そう信じることで部分にフォーカスし、自分を制限することによって、それになり切るのです。

自分のことだとよくわからないという人は、他者をどう見ているか考えてみてください。
誰々は、こういう人だ。
これは○○さんらしいやり方だ。
あの人って、△△(様々な性格や傾向などの描写)だよね。
などなど。

その通りの現実を見ているのだから事実だ、と思うかもしれません。
AさんはいつもAさんらしいことをするし、Bさんは実際に○○な人だった。

そして「それぞれのありのまま」を認めたい人は、こんな姿勢を採用するかもしれません。
誰もに個性があるんだから、見せてもらってる「そのまま」を受け止めるのが大切だよねと。

AさんらしいAさん。
BさんらしいBさん。
私らしい私。

毎瞬毎瞬、それを「捨てる」必要があることに、私たちは気づいているでしょうか。

見ているようで、過去しか見ていない。
現在の「本当の姿」を、見ようとしていない。

そして、忘れている。
見る者は、見る世界に責任があるということに。
なぜなら私たちは、自分の見たい世界を見、それを現実にするのだから。

万物に、ラベルを付けている 

これは植物だね。AさんとBさん。あっ、あれは空を横切る飛行機。
地面にアリがいる。そこを通りかかっているのはCさんだ。犬がいるね。

私たちは万物に、個々のラベルを付け、それで物事を把握していると思っています。

そして、自分が把握した要素が大幅に変わってしまうことを好みません。
連続性を前提とした体験をしているので、過去から繋がって理解できる何かであってほしい。
自分が「こうだ」と決めたラベルの通りであってほしい。
見る世界をそう、制限します。

万物をそのように「自分の思い」によって分類しているので、何かが「全く異なる可能性」や「未知」を示すことを制限し、そうした動きを恐れ、否定し、自分の古い概念に引きこもろうとするのです。

自分がそうだと思ったことを、手放したくない!
私のラベル付けによる、安定した、平和な世界であってほしい。

その意味で、個性とは、「こういう個性の人だから」という免罪符、安心感を与えます。
人々には個性があるので、それ以外の「別な可能性を見る」ことに対し、私の側に責任はない。
自分についてもそう。
私は私。なじみのある私。
私らしい私を、大切にしよう。

さあ、目を覚まし、立ち止まって考えましょう!
無限の可能性に気づくとき、あなたはそういった観念を手放す段階にやってきます。

あなたは、本当は何でしょうか。
「私」とは何であるかを思い出しましょう。

過去の焼き直しの現実を、見続けたいでしょうか。
過去を参照してわざわざ「似た自分」をつくり、「既知の世界」を経験したいですか。

WHOLEでないものは何もない。部分を見るか、全体を見るかの選択 

個性という概念が、互いに補い合う、パズルの異なる形の1ピース1ピースであり、それぞれが「部分」であるという観念と関連付けられているとき、どうしても何かが「欠けている」という不完全さを認めずにいられなくなります。
おのおのを全体ではなく、部分だと信じているからです。

そして、個性の違いを優しく「ゆるす」という試みが生まれるかもしれません。
なぜなら、自分自身という個性もまた、全体ではなく「部分」であるがゆえに、「欠け」があるからです。
お互い様だというわけです。

真実から見れば、これは基盤から誤っているものの見方です。

真実という基盤に戻れば、分かれている色、それぞれの個に属している色だと思っていたものは、そうではなかったとわかります。
個々が独立して見えるようで、そんな状態は存在していなかったことを知るのです。
プリズムを通してできる虹のそれぞれの色調ではなく、光源に目を向けるからです。

何もかもの光源は、すべて同じで、全体を包含した「ひとつ」です。

私たちが「部分」を経験するとき、何を見るかを選択し、その立場になります。
逆の言い方をすれば、何を見ないかを選択するということです。
「フォーカスする部分」があるとき、「フォーカスしない部分」が生まれます。
自己を分割します。

真実においては、あなたが「WHOLE」でないことはできません。
何かが欠けているふりはできますが、いつだって全体なのです。

「自分はこうだ」という個性(自分らしさ)を決めてそれに強くこだわると、結果として「自分ではない」と自身が決めた残りの部分が、あなたの経験する外界や他者に投影されます。
それらの発生源はあなたの内ですが、あなたとは切り離された「世界の属性」、あるいは「彼らの個性」として体験します。

「WHOLEである私」の自覚を取り戻すことで、反映である世界や他者にもまったく同じ全体性をお返ししましょう。


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