ようやく続きが書けることになりました。
この記事は、第1話から続いています。
まだお読みになってない方は1からご覧ください。
◆「旅立つ君へ(死のこと)1」
◆「旅立つ君へ(死のこと)2」
beats-and-love.hatenablog.com☆☆☆
愛というのが死によって絶たれるものならば
愛は恐怖でしかない
そんなことがありえるだろうか?
☆☆☆
このブログをお読みくださっている方は、
もうお気づきのことと思います。
前回の記事、「宇宙人家族」にもあるように、
一見私たちが「夢」というように認識しているものも含めて、
私たちの体験している「地球」は、
多次元的現実の一端であるということ。
私たちが認識している、肉体を持つ自分、という経験は、
より大きな自分の、一部のあらわれでしかないのだということ。
しかし、一部である自分の中にもまた、
「すべて」へのアクセスポイントがあるのです。
☆☆☆
亡くなった者たちは、この地上から姿を消し、
もう二度と会えないように見えます。
存在自体が消滅してしまい、自分だけが取り残されたように思います。
胸を引き裂くようになつかしい、ともに過ごした記憶だけを残して。
けれども、よく思い出して。
限定された視界にとどまっているのは、こちらの方なのです。
彼らは、舞台裏へと移行しただけです。
いわば、舞台の登場人物としての役目を終え、舞台そでに退場したのです。
私たちはいまだに、劇場の舞台しか見ていません。
そこに一生懸命、視点を固定しているのです。
控室に行けば、オールスターが皆、元気な姿でくつろいでいるなどと、
想像できないのも無理はないでしょう。
進行中の劇に夢中になっている間は。
そんな私たちでも、本当は気づいているのです。
たとえば眠っている間。
あなたはこの現実から「ログオフ」し、
オンラインゲームの中の人物ではなく、それをプレイする存在として、
すでに亡くなった人たち(オフラインの人たち)とも会っています。
また、心の中の、ふとした息吹を伝って…
あなたは会話しています。
あなたは感じています。
彼らのメッセージを。
それはあまりにさりげないので、
あなたは「自分の考え」だとか、「自分の思い」、
なんだかそんな感じがしただけなんだけど、それは自分の感覚だろう、
と、思うのです。
☆☆☆
切り離されることがない私たちが、
「死」という見かけ上の障壁に、
本当に影響されると思いますか?
☆☆☆
これを踏まえて、引き続き、私自身の体験を書いていきましょう。
次の記事へつづきます。
◆「旅立つ君へ(死のこと)4(完結編)」
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