今朝ひさしぶりに、種ありの柿に出会いました。
うちでは、パートナーが柿好きなので、シーズンになるとよく柿を買います。
種類にこだわりはなくて、適当に、複数の種類の柿を買っているのですが、
スーパーでも八百屋さんでも、このあたりではいつのまにか、
種なしの柿ばかりが並んでいるということに私は気がつきました。
種があっても、食べるときには外して捨ててしまうのですが、
そうはいっても…
「種なし」の果物ばかりを見かけるようになると、
なんだか植物に申し訳ないような、大丈夫かなという気持ちになります。
写真と同じ種類の柿も、今まで買ったのは全部、種なしの状態でした。
なので今朝、ナイフを入れたときに、
がつん
と固い手ごたえがあって、「もしや!?」とうれしかったのです。
種を眺めていると、私は生命力を実感します。
昔は、人間や動物が食べ終わって、ポイと捨てた種が、
うまいこと土に埋まって、発芽したりもしたんだろうね、とも、想像しました。
この間、カラスのことを記事にしましたが、
カラスには、採食した後、いくらかを土の中に埋めるという習性があります。
貯食、と言いますよね。
私が子供の頃飼っていたリスもそうでした。
ケージの中でも、食べる分のほかに食物を隅っこに運んで、
床に敷いていた広告の紙などをちぎって、両手でかさかさかさっと、
食物の上にかぶせて隠すのです。落ち葉や土をかける代わりです。
これが自然界なら、どんぐりや果物などの実が、こうして、
動物たちによってちょうどよく埋めてもらえることになります。
そのうちのいくつかは、掘り返されずに忘れられ、
土から芽が出るというわけです。
便利であることや都合がいいこと、
そればかりを追求していると…
自然界の「大きな視点」を忘れてしまいます。
誰にとって便利なの? 誰にとって都合がいいの?
そして、それは本当に、大きな視野で見たときにも、私たちに都合がいいの?
今朝の柿を見ながら、考えていたことです。
★この記事のトピックについては、後に調べてわかったこと、訂正や補足を説明した記事が2つあります!
◆「種、いろいろ」
◆「種食いと、自然の法則」
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