BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

夢のマイホームも人それぞれ

こんばんは。

今日は「夢のマイホームも人それぞれ」というテーマで、

最近の私の実感や気づきと絡めながらお話しします。


 

ところで最近、空や風景の写真をあまり出していないのは…

(今回載せている写真は、かなり昔に撮ったバリ島の景色。)

古いデジカメのUSBコード(パソコンに取り込む用)が手元に無いから!

ネットでようやく該当するものを見つけたので、購入できそうです。

デジカメ写真の復活まで、しばしお待ちを…☆

☆☆☆

巷で、「夢のマイホーム」という表現を聞くことがあります。

でも、その思い描く内容は人それぞれで、

どんな環境、どんな住まいが快適かは、大きく違うのですよね。


世間一般のイメージでは、「夢のマイホーム」とは、

借家ではなくてしかも一戸建てというイメージが強いでしょうか。


私は先月引越しをしたのですが、色々と悩みに悩みまくり、

結局、両親と同居させてもらう形を選びました。


これは、諸々の条件を吟味して、「今の考え得る最善」

…だったことは間違いないと自分で思っているのですが、

現状、「今更ながら目からウロコ!」とびっくりするくらい、

自分の心にずっとあったけれど本当には自覚できていなかったもの

に直面しています。


自覚した結果として、たとえ一定の時間がかかったとしても、

この場所からは出て行くだろうと感じています。


ちょっと私のバックグラウンドをお話ししますと、

現在私のいる場所は、両親がいるということで「実家」になるのですが、

私にとっては、両親がそこにいるという以上には実家と感じないのです。


それは、住んでいる場所や環境に対して、

私がまったくシンパシーを感じられないままに時間だけが経過している

ということです。


さかのぼれば、私が1年間の高校留学から帰国した高3の夏、

家を買ったことを知らされ、あれよあれよと現在の場所へ引越ししました。

それまで私たち家族は社宅暮らしでした。

団地とかマンションスタイルの、よくあるコンクリートの集合住宅です。

同じ社宅の様々な棟に、同じ学校の友達もいて、にぎやかな…

それが私の原風景です。


確かにそこは今の住まいよりもずっと狭くて、幼少の頃から顔見知りの、

知っている人たちがいるという、ともすれば煩わしい環境ではありましたが、

私にとって「実家」というとどうしても「心はそこに戻ってしまう」のです。


その理由のひとつは、私が現在の「家探し」のプロセスに全く参加せず、

帰国したら突然引越すことになっていた…ということと※

(※同じ家族の子であっても、妹は私のようには感じておらず、

家を決める前に、母と一緒に下見に来た思い出も教えてくれたので、

なるほど、そんな違いもあったんだなと思いました。)


引越した頃に私はもう高校卒業も近かったので、

ここで育った感がゼロというか、いい思い出があまりないからだと思います。

自分で選んでないし、育ってもいないし、

現在の土地に思い入れがまるでないということです。


大学生になって以降は、通学や通勤がとにかく不便になった、

遠くなってつらい…というしんどい思い出しかなく、

大学を中退した理由ですら、何割かは住まいの問題が関わっています。

当時の私の事情からするとそこには切実な願いと必要性があったのですが、

私が自分でお金を出して暮らせるようになるまで、

一人暮らしをどうしても許してもらえなかったので。


そういうわけで「因縁の土地」というか…それはジョークですが(笑)、

私にはどうしても馴染めない土地であって、居心地の悪い場所なのです。


この町を好きになろうとしたり、せめて身の回りの環境だけでも整えて、

暮らしを楽しくしようとしたり…ということは、これまでも努力してきました。

この場所をこんなに「好きでない」ということが、家族に申し訳なくて、

(それこそ両親にとってはせっかく購入したマイホームなのですからね。)

そんな自分に対しての罪悪感や失望も、たっぷりと感じてきました。


でも、今回わかったのです。腑に落ちたのです。


私、やっぱりここがどうしても好きじゃない(笑)

好きになれないんだ!ってね。


それでも好きになろうと「頑張っていたから」、余計つらかったのです。

罪悪感がひしひしとあって、そんな自分がいたたまれなかったのです。


ここからは冒頭の、「マイホーム」の話になるのですが。


仕事内容や、暮らしのスタイル、個人の好みによっても、

何が理想かは変わってきます。


たとえば、住まいといったときに「庭」が重要な方もいますよね。

ガーデニングをしたいとかね。

お子さんがいるなど家族の構成によっても、何を意識するかは異なるし、

どんな環境を心地良いと感じるかが変わってくるでしょう。


私は、基本ひとりで創っていく「自分のモチベーション」が大事な仕事なので、

私自身が快適に感じられる土地か否か?というのがとても重要です。

また、家で行う作業が多いので、日中の環境がどのようかも大切です。


一方で、通勤している家族を見ると感じることですが、

(そして、自分が通勤していた頃もそうでしたが)

平日は帰ってきてほとんど寝るだけ、という生活だと、

そんなに家の周辺の環境というのは気にならないものだったりします。

通勤先の駅や、途中駅なんかも利用できますしね。


ところが、家で仕事をしたり、主婦または主夫の方だったり…

ということになると、住まいの周辺がどのような環境かは響きますよね!


また、家の中についても「どこに価値を置くか」で理想が異なります。


たとえば私は、余計な音があまり響いてこなくて、暑さ寒さも厳しくない、

「コンクリートの集合住宅」が今の所一番好きでした。

部屋の広さや部屋数についても、あんまり広くなくていいのです。

自分の手の届く範囲で、掃除が苦にならない程度が好きです。


でも、かたや、広い一戸建てが欲しい!と心から望む人もいます。

(もちろん、大きい家を望む人の中には、ヘルパーさんを雇ったり、

家の手入れを自分で全部はやらない前提の方もいるでしょう。)


あぁ、生活スタイルって、理想って、こうも違うのだ。

そのことを、私が家族と同じタイプでないからこそ、切に実感し、

そこには「良いも悪いもない」のだと悟りました。


自分は自分でいいのだと、ここにきて改めて地に足がついた感じです。


このテーマは、一見くだらないようでいてけっこう大きく、

私は家族の住まいが今の場所になってからずーっと悩んできた気がします。


それは一種の「呪い」のように、気持ちの上でのたんこぶのように、

忘れようとするのだけどそうもいかず、薄らいでいても現実に存在していて、

そして今回のように「戻ってくる」。


さらに突き詰めれば、私は、家族と同じ価値観でない、

同じようにしていると不満を抱いてしまう自分
が嫌いだったのだと思います。

嫌いというか、認められなかった。否定していた。

こんな風ではいけないんだと、自分の自然な姿を申し訳なく思っていました。


でも、誰にでもやはり自分は自分でいたいという「生来の願望」があるので、

合わない場にいると、悲しくなったり腹が立ったりするのです。


極端な話ですが、もしも生まれた国の文化が合わなければ、

あなたの快適でいられる国、好きな国に移住したっていいんです。

そのくらい、人は本来自由なもの。

そして、「場所」に縛られないもの。


でも、「こうでなくっちゃ」と頭で考えること、生きながら身につけたことが、

あなた自身を「心で縛りつける」ということをしてしまう。

苦しい葛藤を生んでしまうんですよね。


○○人なのだからこう思わなくちゃ、とか、男性だからとか女性だからとか、

こういうことには慣れなくちゃ、とか、こういう風に感じる「べき」なんだと…

自分の感じることの方を、それに合わせて変えてしまうのです。


どうぞ、「はみ出している」自分にムチ打たないで。

あなたが感じることには、絶対にあなたなりの価値と理由があるから。


★そして、後日談…こちらもどうぞ♪「いいとこいっぱい見つけたよ♪」


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