タイトルに詰め込んでますね。
「内的静寂とダイナミックさの両立、脱力の極致、それに『Tha Carter V』……」
どれも今起こってることで、書いておきたいことばかりです。
しかも、私というひとりの人間の現実の中にあるだけあって、一見そうは見えなくてもリンクし合っているんですよね。
それぞれのトピックを記述していきますが、
まずは、昨日もふれたLil Wayneのアルバム「Tha Carter V」の話題から。
もっと詳しく感想を書く記事を待とうと思っていたはずが、待てない!
「Tha Carter V」は、Lil Wayneの人生を感じられるアルバム
前回記事では、「まだ、さらっとしか聴いてない」と書いていた通り、アルバム自体を昨日から聴き始めて、昨夜にはかなり没頭して聴く体験ができました。
前回、後半でTha Carter Vにふれています。◆「周回するものの中心点」
★CD「Tha Carter V」
現時点での感想は、圧倒される、大満足の、発売が長く延期されたことも「なんか、今というこのタイミングを待つためだったのかな……」と受け手としてちょうどよく感じてしまうほど心に響く、素晴らしいアルバムでした。
今までのリル・ウェインの作品以上に「彼の人生を感じることができる」という感動があることも特徴で、それについては別の機会、さらに感想を書く記事へと譲ります。
私は胸をどきどきさせながら、うれしい衝撃を受けながら、このアルバムを聴いています。
それは、年末にはまだ早いですが、今年はこのアルバムを聴くことができたということで、もうそれだけで幸福で、思わずにこにこして過ごしてしまうほどなのです。
にこにこは比喩じゃなくて、本当に好きな音楽を聴くと、私は笑ってしまうんですよね(笑)
振り返ると昨年末には、クリスマスにLil WayneのMixtape「Dedication 6」がリリースされるという、うれしいプレゼントもありました。
こちらの記事と、
◆「霊的次元にもあるパトロール(中略)+ラッパー、リル・ウェインの新作『Dedication 6』情報も少し。」
こちらの記事で、それにふれています。
◆「月食と、Lil WayneのMixtape第2弾『Dedication 6 Reloaded』が素晴らしいこと。」
というわけで、今回の「Tha Carter V」コーナーはこの言葉でしめくくります。
ありがとうっ、リル・ウェイン!その存在に感謝!(これを言うのは何度目でしょうか)。
内的静寂と、消極的になることや受け身でいることは関係ない
さて、前回の流れに続くといえば、「内的静寂」のお話もそうです。
やはり、12月の講座はそのテーマで行うことに決定しました。
間もなく日程等、詳細をお伝えします。
講座情報はこちらから★講座のお知らせ・ご感想★
内的静寂とは、内側の「核」にある完全な静けさなのですが、心が揺らがないというイメージからでしょうか、
「感情を持たない人になる」
「常に穏やかで、静かに生きる」
「自ら積極的な行動を起こさず、すべて天に任せる」
……などの、特定の「型」を実現することだと、勘違いする方もいるようです。
内的静寂の状態から「生きる」ということは、消極的になることや、受け身でいることとは全く関係ありません。
むしろ、あなたは自分の思い込みの「制限」を形にするのではなく、ダイレクトに自分の源を「人生によって具現化」することになるので、そのダイナミックさを体感するでしょう。
あなたがストレートに、純粋に、あなたとして生きる、ということです。
講座では、こうした「内的静寂」にまつわる誤解も解いていきたいと思います。
タイトルに「内的静寂とダイナミックさの両立」と書いたのは、正確には、
内的静寂の状態にあるときこそ、あなたのエネルギーは最大限に活きて、ダイナミックに生きることになる。
という自然なことなんですね。
ダイナミックという言葉からも、人によって様々なイメージを想起すると思いますが、決して激しさやアップダウンを示すものではありません。
脱力の極致
内的静寂の状態にあるとき、あなたはより「リラックス」していると感じることができます。
良い意味での「脱力」です。
先日、それと関連しているな、と感じる印象的な夢を見ました。
以下、夢の内容です。
★★★
私は夢の次元での東京都内※と思う、都会的な通りを歩いている。
(※物理的次元にあるものはすべて、その「元」になるものが別の次元にも存在します。)
あるイラストレーターの人のお店に目を引かれて、立ち止まる。
中にはご本人がいて、絵のほかにグッズも売っているようだ。
起きている間の現実(眠る前の、こちらの現実)で知っている著名なイラストレーターだったが、私はその人の作品に特別な思い入れはなく、近年、作品を意識的に見た覚えもない。
(※夢の中でのお店に該当するものも、こちらの現実にはないはず。)
でも、そこでは、自動ドアや壁に描かれている、その人のイラストに目を奪われる。
「えっ……ここまで脱力した絵だったっけ!?」
と、まじまじ見て、その味わいに驚異をおぼえる。
地上(起きている間の世界)で見るよりも、筆致や線そのものからも伝わってくる脱力っぷりが放つ味わいが、いかにすごいものかを感じ取ることができたのだ。
こんなにも、ゆるい絵が、描けるものだろうか……と、心底感心してしまう。
(夢の内容、ここまで。)
★★★
このシーンで味わった感動は夢から起きてからも残っていて、それで、
「脱力の極致」
という言葉をタイトルにつけました。
この体験は、私が「脱力した状態の大切さ」を再認識するためだとも思えましたし、
同時に、夢の次元では、物理的現実で経験・表現することの「元(源)」になるものを見ることができるということを示してもいます。
たとえば、あなたが何かを創る人であれば、夢の次元では、自分自身の「これから創る可能性がある作品の数々」や「作品の素(もと)、原型」を見ることができるでしょう。
過去に「アイディアはあったけれど、作品にしなかった作品の数々」も。
アイディアというのは無形だからといって無作為に湧いてくるわけではなく、一から創るわけでもなく、別の次元ではすでに存在しているものを、キャッチしているのです。
つまり、あなたがネットに接続して何かをダウンロードするようなものです。
それはすでに「ある」のですが、ダウンロードするかしないかはあなた次第ですよね。
最後にこうお伝えして、記事を終わります。
力を抜いて、心を静かにし、内から示されるものを受け取ろう。
それを「この世界」に表せるのは、あなただから。
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