BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

満月の解放☆内側編

昨日、記事をアップした後に夜、気づいたことがありました。

昨日の記事の最後の方に、「魔除け」に該当するような強烈な夢があった、

と書いたばかりでしたが、

その夢って、満月前日の夢だったのですね。

昨日が満月、それもスーパームーンだったそうです。


このブログを前から読んでくださっている方は、

満月前日の夢で私が独特の体験をしていること、もうおなじみだと思います。

今回も、それが起きていたのでした!


昨日の夜も、月齢にはまったく気づいてはいなかったので、

やはり、自然なエネルギーのリズムでそういう体験をするのだと思います。


さて、

私の「満月のエネルギーに同調する夢」のパターンとして、

満月前日は、すでに亡くなったけれども事情があってとどまっている方や、

あるいはこの現実とは別な次元と感じる(たいてい不気味な)ところでの解放。


そして、それに続いて満月当日には、

自分自身の過去と繋がっている感情の解放が起こることがあります。



もしかするとこの順番は入れ替わったりしているかもしれませんが、

満月前日と、場合によっては当日も、どんなに本人がそれを忘れていても、

こういうことが毎回のように起こっています。



今回は、上記の順番通りに「解放」がありました。

それを、「満月の解放・内側編」「外側編」と題して、記事に書きます。


「外側」と「内側」というのは便宜上の表現です。


今自覚している自分の内面そのものを「内側」、

大きく見れば自分の中にあるけれども外にあるように見えるものを「外側」、

と表現しています。


それから、実際の体験の順番は「外側編」の方が先ですが、

まずは「内側編」から書いていきます。


一昨日、「外側編(魔除け的な体験)」のときは、

寝ている体の方でも、声に出して叫んでいました!

今朝の夢の方、「内側編」のときには、たくさん泣いていました…。


寝ていても忙しいです(笑)


あなたの夢も、

気をつけてみると似たようなパターンが見つかるかもしれませんよ。


☆☆☆


自分の(この人生の中での)過去は、

ある意味では、「過去生」と呼んでもいいくらいに、

現在の自分にとっては思いがけなかったりする。


確かに、自分が知っていることであるはずなのに…。


☆☆☆


私が、繰り返し、繰り返し見る夢があります。

それは、あまりにそこに関連する感情が大きいので、

小分けにして、何度も、少しずつ少しずつ解放しているような気すらします。


それは、私自身の過去の夢です。


夢なので、実際の過去の状況とは違っているのですが、

そこにあらわれている感情や思いは、当時と似通っているのです。



私は、高校生のときの私として夢にいます。

ときどき、大学生のときもありますが、感覚は高校生です。


そして、このままだと学校を卒業できないのではないか…とか、

退学をしたいのに言い出せないとか、考えています。


実際の私は、大学を中退しています。


過去記事をご存知ない方への参考記事は以下の3つです☆

読むと、今回の内容がよりわかりやすいかと思います。

「私の過去の歩み」

「絶望世代がもの言ふ!」

「夢が変わった!☆」

背景をご説明しますと

私は高校生の頃も、中学生の頃から始まった摂食障害に苦しんでいて、

家族はそれを知っていたけれど、周囲にはそれを隠していました。


学校では明るく振る舞っていましたし、

部活に参加したりと積極的に自分を変えようとしていましたが、

高校2年生になる頃には、ひどい過食になってさらに苦しくなりました。

(中学生の頃は拒食でした。)


なかば逃げるようにして、環境を変えたい一心でアメリカへ留学しました。

もちろん、環境が変わるだけで何かが変わるという考えはあまく、

場所を変えて、もっとつらい現実に立ち向かうことになったのですが…。


そして、帰国した頃は高校3年生の夏。

みな、受験ムード一色です。


公立では県内トップの進学校だったので、大学へ行かない人はゼロ。

それよりも、「どれだけいい大学に行くか」の勝負なのです。


私はどんどん、皆から、ずれていくのを感じていました。


私の中にはずっと、「それどころじゃない」自分の中の闇があるのです。

本当は、ふつうの日常の生活も、やっとなのです。


学校に行くのも苦労するようになりました。

なんとか出席はするのですが、遅刻していったり。授業をとばしたり。

(この頃すでに、引越しをして高校はけっこう遠かったです。大学もそうだけど。)


「行かなくては」と必死で思うのに、しんどくて行くのがやっとで、

家を出て電車に乗って着いたらお昼頃になっていたりしていたのですが、


それを、友人たちは、「マイペース」とか「さぼり癖」ととらえ、

私も自分の症状のことは誰にも話さなかったので、人によっては、

「いいかげんさぼるのをやめなよ。自分の立場をわかってるの?」

とか、厳しい愛情のつもりで?言ってくる友人もいました。


ほんとうは胸が張り裂けそうなほど毎日苦しかったのに。

生きているだけで必死だったのに。


誰にも、その感情も思いもわかってもらえなかった。

家族にも、そうでした。



この思いを今でもありありと思い出すことができるのは、

こうしてときどきで、その頃の自分が現れるからなのです。


当時の私は、今の私より自分をわかっていませんでした。


だから、自分を受け止めてやれなかったところが、

幽霊のように何かを語りかけようとして、今も出てくるのだと思います。


その頃の自分はいつも夢でこう思っています、

「学校…単位大丈夫かなぁ、授業の出席日数は足りているかなぁ。

卒業できるのかな。※ 大学になんて行きたくない。

入れたとしても、続けるのは無理だよ。高校もやめたい。

でも、そうしたらこの先どうなるんだろう。」

※実際は、卒業への心配はなかったはずなのですが…


当時は、自分のことなのにそれを知りませんでした。

それくらい、自分の「本当の声」を消していたのでしょうね。


現実の私は大学に進学して、何年か経ってから中退していますから。


本当の私は、多くの友人たちが漠然と歩んでいたような、

進学校から一流大学へ行き、そこから適した仕事を見つけて就職へ…

という流れに、すでに乗れなくなっていました。


あまりにも違和感が大きくて、それは自分の人生ではないと感じていました。


一方で、そのレールから外れることを考えると、

そうしても生きていけるのだろうかと疑問をおぼえて、怖れました。


それ以外の世界を自分の力で切り拓いていけるということは、

それはそれで、当時は信じられなかったのです。


☆☆☆


夢の内容に戻ります。


私は夢の中で、またしても高校生で、

上に書いたのと同じことを思い、学校へは遅刻していき、

友人にもその本当の理由を言えずに過ごしていました。


夢の中で、家にいる私は、家族に対して怒っていました。


誰も、私の本当の気持ちをわかっていない!

その絶望感と孤独感。


以下は、夢の中の情景であり、実際にあったことではありません。

家族である登場人物の性質も、その当時と同じではありません。

この中にある質(感じてること)だけが、当時の自分とシンクロしています。↓



夢の中の母は、私をなんとか助ける気持ちからでしょう、

水泳をしたら?体を動かしたら変わるよ、とか、明るく提案してくれます。

(実際、私自身が希望して水泳に通っていた頃がありました。)

私は、そういうことじゃない、全然違うのに…と内心思います。


おしゃれが好きな妹は、お気に入りのランニングシャツを探しています。

お姉ちゃん、あれ知らない?洗濯した後どこにしまった?

デートに着ていきたいの…と、慌ただしく準備しながら探しています。


私はいらいらして、

「ちゃんとたんすにしまってあるってば!

よく見て、確かにあるはずだよ。」

と言うのですが、ない、ない、と言うので私が出しに行きます。


あったー!かわいい♪と言って、服を抱えて妹は行ってしまいます。


お父さんもいますが、誰も、私の本当の気持ちをわかっていません。



学校の場面でも、家の場面でも、私の心はひとりです。

言葉で何を言っても、わがままや、甘えや、気まぐれな怒りと受け取られたりして、

本当に意味するところが伝わらないのです。


「これからどうしよう…」


目を見開いて、涙を流している私。


そして、思います。


私は、この悲しみを、表現できる人になろう。


(作品としてあらわすとか、“表現者”になるということです。

思いを口に出せる人になるという意味ではなくて。)


気づくと、私は大学のキャンパスやカフェテラスに似たところで、

白いテーブルに向かって、ノートにボールペンで絵を描いています。

当時よく描いていた漫画風の絵です。


どのくらい描けるかな…と、自分の実力を見るようにしながら描いています。

意外と描けるな…練習したらプロになれるかな。

それで生きていけるかなぁ…と不安に思いますが、


そうだ、私漫画家になろう。


夢の中の私は、先の不安を抱えながらも、

退学したら漫画家になろう、と思っていたのです。


※当時は、スピリチュアルのスの字も知らない頃で、

この夢の中にセラピストやカウンセラーというアイディアは出てきません。


☆☆☆


この夢を見ている間、あまりにもたくさん泣いて、

起きたら目が腫れてしまっているのでは…と、意識の狭間で思いました。


そして起きてからは、またしても繰り返されたこの種の夢に驚きながら、

あぁでも、本質的にどこかで今でも、


人と同じ(一般常識的な)道を歩めない

そんな自分を至らないと思っていたり、


自分の才能で生きていくことに

「そうできるだろうか?」と不安をおぼえたり、


しているのかもしれないなぁ、と思いました。


ふだんの自分の底に「今」隠れている不安感や、

現実としてもあらわれていることの大事な核が、

ここに示されていることに気がつきました。


ところで夢の中の「漫画家」の決断は…


昨日の記事に書いた、漫画家の高橋留美子さんの出てくる夢とも、

つながっていて面白いですね。


「内側編」はここまでです。


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