2月最終日ですね。
今回のお話は、「この世界というゲームに目覚めはマスト」。
今年に入ってからは以前にも増して、真の自己である認識を回復すること、いわば「目覚め」に関して多くお伝えしています。
目覚めについてのひとつの指針は、こちらを参考にどうぞ。
◆「目覚め(解除)の段階と、創造のスタートライン」
というのも、昨年の途中にはっきり気づいたのでした。
「このゲームの内容的に、完全な目覚めは、マストだった!」と。
ゲーム内の自己になり切った状態からは、真の創造ができない
どういうことか説明しましょう。
私はかつては、人には色々な人生があるのだから、誰もが目覚めを経験する必要はないのだろうというスタンスでいました。
各々の「自由意思」による選択なのだと。
この世を遊園地にたとえますと、この遊園地内でずっと遊んでいたいと思っている人がいても、それはそれでいいのだということです。
遊具を取り替えているだけで、実質は遊園地内で同じ遊びをしているのでも、遊園地そのものが気に入っているのなら自由だと。
私のもとへ学びに来てくださる方、セッションなどでお話しする機会をくださる方に対しては、私が知っている最善の策、すなわち「目覚めて生きること」を最大限にお伝えしていたにせよ、「万人にとって」目覚めがマストだと思ってはいなかったということです。
ところが、真の意味で自由意思を使えている人間がどれだけいるのか
ということについて、私自身の経験を含め、しっかりと見つめてみるならば、
「この世界内の自己」を自分だと思っている間は、自由意思は自由に使えていない
ということが明らかだったのです。
同内容は、こちらの記事でもふれました。
◆「霊的視点のシフト・伴走者がいることを忘れずに!」
つまり、人間が本質からの純粋な創造である「真の創造」を実現するためには、目覚めがマストである。
しかし、現在のこの世界(地球ゲーム)における状況は、ゲーム内で自分たちが採用した観念に囚われたまま自覚なしに創造しており、二元性を信じることによって自己を分裂させることが「普通」になっている。
そんな「普通」の感覚を維持し、外に見える世界にただ従って生きていくと、このゲームからは抜けられない仕組み、とでも言いましょうか。
もちろんあなたの内には、確実な伴走者、あなたを導く叡知があります。
けれども、「外を見ることに執着している」状態にあるとき、内をあてにする習慣がなくなっているというわけです。
そうですね、ここでテレビゲームをたとえにしてみましょう。
昔の記憶を元にしているので、昨今のゲームには当てはまらないかもしれませんが。
ゲームに参加した者が受ける洗礼
ファミコンなどのゲームでは、スタート前に「ゲームの遊び方の見本」が自動的に流れることがありました。
画面上でデモンストレーションが始まって、「こういう風に遊べばいいのだな」とわかるようになっています。
あなたがこの世界に生まれたとき、そういったデモンストレーションが「外側に見える形で」、始まるように感じられます。
あなたを育てる人や周囲の世界が、「世界ってこういうものだよ」と見せてくれるのです。
「ように」と太字で書いたのは、本当は外から押しつけられるものは何もなく、何を信じるかを自分で選ぶからです。
例外はあるかもしれませんが、基本的には、
外に見えるデモンストレーションに従っていると、自分はこの世界の一員(ゲーム内の自己)であると思い込むようになり、真の自己を忘れます。
それが起こること自体は、地球ゲームの仕組み的にデフォルト(初期設定)なのが現状ですが、大切なのは、その後です。
いったんそうなってから、「真の自己を思い出し、その自分のままで創造すること」がゲームの本質です。
難易度は高いとしても、あなたはあえてこのゲームを通して「真の創造」がしたいのです。
その意味で、「今のあなた」は必ず好機であり、全く同じ「代わり」はありません。
真の創造は、全体にならざるをえない
あなたが純粋な創造をするためには、ある言い方をすれば、「この世界の外にいる自己(ゲーム内にいない自己)」に目覚めなければなりません。
真の自己としての自覚と、「この世界で生きている自分という思い込み」の間には、はっきりとリアリティーの違いがあります。
テレビゲームで遊んでも、あなたはゲーム内のキャラクターと自分とを、完全に「同一化」してしまうことはないですよね?
ゲーム内で自分が動かしているキャラクターがどんな冒険をしようが、ゲームの描写がどんなにリアルであろうが、あなたは画面の中にはおらず、ゲームを使って遊んでいる自己であることを自覚しています。
テレビゲームのたとえだと、あなたは誰かから提供されたゲーム(ソフト)で遊んでいるという感覚になると思いますが、あなたの人生は、それとは異なります。
あなた自身が、あなたの経験する世界全体の創造者です。
「この世の私」と信じているキャラクター、ピンポイントの駒があなたなのではありません。
これを錯覚し、全体のどこかに切れ目があると信じていると、あなたはゲーム内の一部に自己の意識を投資し続け、執着し、それを制限として体験します。
自分が自分を阻んでいること、そうすることから退くことを学ぶとき、純粋な創造の結果が姿を現すでしょう!
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